指で触って楽しむ「江戸のインターネット」浮世絵

【Interview】新藤茂先生「浮世絵随談」@神奈川大学公開講座

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――横浜はいまでも中華街もありますからねぇ。当時から、中国の人が横浜には住んでいたんですね。

じゃあ、次。これはなんだと思いますか?

横浜開港時

外国人を描いた浮世絵師のジャーナリズム

――このラッパを吹いてる人ですよね? 赤い髪の毛に洋服で、まるで外国人みたいですが……

当時「唐人飴売り」と呼ばれる異国人風の恰好で飴を売る行商人がいたんです。

――あ、じゃあ日本人なんですね。

いや、ここで深読みすると、当時の日本は鎖国政策を取っていたので、日本に住んでいる外国人は原則として「オランダ人か中国人」だったんです。でも、実際はそれ以外の人種も住んでいたんですけど、リアルタイムな状況を、浮世絵上では描いてはいけないことになっていたんです。

――浮世絵の内容にも幕府による規制があったんですか。まさに言論統制というか……。

そう。ただ、これは先ほどもお伝えしたように、開港当時を描いたものでは、一番早く描かれたものです。だから、開港後に外国人が道を歩いていても全然おかしくないんですよ。だから、浮世絵師も「浮世絵に外国人を描いてみて、幕府の反応を見ようかな」と思ったんじゃないでしょうか。この「あめ」というのぼりは、あくまで万が一幕府に「外国人を描いてるじゃないか」と言われても、「いやいや、飴屋ですよ」と言い逃れできるように、こののぼりを描いたんじゃないかと思います。

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