紙質が悪いものほど偽造が難しい
第3科で製造していたのが中国紙幣の偽札だ。その目的は、中国で必要物資を調達するためと、大量の偽札を流通させて経済混乱を起こすためだった。当時の額面で40億円ほどが製造されたというが、これは当時の日本の国家予算約200億円の5分の1に相当する額だった。
2014年、巴川(ともえがわ)製紙所(本社・東京)の静岡市駿河区にある工場で、孫文などのすかしが入った特殊な用紙が見つかったが、これが登戸研究所で製造された偽札だった。
先の風船爆弾にも使われたように、当時の日本の製紙技術はすばらしかったらしい。第3科では偽パスポートも作っていたが、ソ連のパスポートは紙質が大変悪く、その悪い紙質を再現するのが大変だった。中国紙幣の本物はアメリカやイギリスで製造していたが、戦争末期にはその質が劣ってきて、それをまた真似するのに高い技術が必要だったという。
山田先生は語る。
「秘密戦というのは、勝っても負けても一切公表されない、けっして歴史に記録されることのない裏側の戦争です。登戸研究所は空襲も受けず、戦後はGHQに接収され、ほとんどの資料がアメリカへ渡りました。いま私たちがこうして登戸研究所の研究内容を詳しく語れるのは、元所員だった伴繁雄さんが手記を残してくれたからです。それが2001年に出た『陸軍登戸研究所の真実』でした。 渡辺賢二先生(元明治大学兼任講師)が伴さんの元を訪れ、伴さんが40年の沈黙を破って研究の内容を話し始めたことから、ようやく表に出てきたのです。しかし伴さんが手記をまとめてから出版まで、10年を越える歳月がかかりました」
明治大学生田キャンパスに、登戸研究所資料館が開館したのは2010年。戦争を語り継ぐには、息の長いリレーが必要だ。
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文・写真/安田清人(三猿舎) 写真提供/国土地理院ウェブサイト、明治大学平和教育登戸研究所資料館