ヤマトとセブン-イレブン。日本を変えた先取り発想

渡部博志 武蔵野大学准教授:言葉から探る経営と生き方@武蔵野大学

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なぜクロネコヤマトの車はあんな形をしているのか

クロネコヤマト宅急便のドライバーを、セールスドライバーというが、これは1976年に宅急便をスタートしたときに創った呼称だという。まさに、セールスもする付加価値の高いドライバーというわけだ。当たり前のように利用している宅急便だが、こうして講義を聞いていると、その当たり前のサービスの裏側にどれほど深く強い経営哲学があったかがわかる。そして感動したのが、次の一言だ。

安全第一、能率第二。これも小倉の経営哲学のひとつでした。ヤマトが生み出さしたウォークスルーバンも、この哲学から生み出されたと思うのです」

ヤマト運輸のウォークスルーバン
ヤマト運輸のウォークスルーバン

それがヤマト運輸のこの車(上の写真)。天井が高く、左側がガラガラと開く。この車が生まれる前は、車の後部から荷物を出し入れするしかなかった。しかしそれでは腰を痛めるし、何より車道にでなければならず危ない。そこで、車の中で作業ができ、運転席から安全な歩道側に出て楽に荷台を開けられる車の開発をトヨタに依頼して完成したのが、このヤマト用のウォークスルーバンだ。

相手がいないときに運んでも仕方ない

時間指定サービスも、小倉のフィロソフィーから生まれたものだと言えよう。それまでは、配達して家に人がいなければ、再配達をすればいいだろうという考え方だった。しかし、相手がいないときに運んでも仕方がないじゃないか、と逆の発想で考えた。それがもとになって時間指定が生まれたのである。結果としてドライバーの手間が減り、利益につながった。これも 「サービスが先、利益が後」の経営哲学ゆえの判断だったという。

このサービスを支え、さらに拡充するために、ヤマトはかなり早い段階から、集配ネットワークのためにITに莫大な投資をしてきた。そのネットワークシステムの名は「NEKOシステム」という。また、2013年には羽田空港のすぐそばに羽田クロノゲートと名付ける巨大な総合物流ターミナルを作った。

「小さい店舗でもやっていける」とセブン-イレブンを

“密度の高い”サービス、ITのフル活用。ここにおいて共通性を持つ業態がコンビニだ。そのコンビニの父と言われるのがセブン-イレブンの創業者・鈴木敏文(現、株式会社セブン&アイ・ホールディングス名誉顧問)である。

セブン-イレブンの創業は1973年。その10年後の1983年、その商品が、いつ・どのお店で・どのような客(性別や年代)に買われたかといった販売データを把握するPOS(point of sales=販売時点情報管理)システムを全店に導入する。ここまでの規模で導入したのは日本初、しかもマーケティングにまで活用したのは世界初のことだったという。

今から40年ちょっと前。大型スーパーが日本各地にでき、中小の小売店は経営難で青息吐息の時代だった。しかし鈴木はこう考えたのだと、渡部先生は言う。

「当時、中小小売店がつぶれるのは、大規模店ができたからだと思われていました。しかし、鈴木氏は、市場の変化に対応できていないからではないかと考えたのです。のちに、小さい店舗であってもやっていけることを証明したくてセブン-イレブンを始めたと言っているほどです」

 

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