遺跡はあるが、音楽はない
「現存する最古のケーナ、しかも驚くべきことに竹や葦の一種で出来たものが見つかっているのですが、これは今から約6500前、紀元前4500年前頃のものとされています。僕のアルゼンチンの友人2人、アンヘル・サンペドロとミルトン・ブランコが研究に従事していて、最新の研究データの提供を受けていますが、非常に興味深いものです」
「現在、漠然と「ケーナは南米の伝統楽器だ」ということを知っている人は多い。ケーナと聞いて『コンドルは飛んで行く』を連想する方もいるでしょう。しかしじつは、すでに説明した通り、あの曲が伝統音楽かと言われたら、かなり疑問が残る(参照記事:世界的ケーナ奏者・岩川光「ケーナから世界が見える」)。
さらにいえば、ここまでで紹介したような、ケーナの祖先やその仲間・周辺にあたるような楽器たちが生まれた当時、実際にはどんな音楽を奏でていたのか、我々にはもうわからないのです。その大きな原因となったのが(主に)スペイン人による侵略でした。
今日の我々が南米の音楽と聞いて思い浮かべるもの、また今日耳にする中南米音楽と呼ばれるもののほとんど、ほぼ全てと言っていいと思いますが、500~200年前の時代のスペイン(とその周辺)の音楽の亜種と考えてよいと思います。
スペイン人が南米大陸に彼らの音楽を持ち込んだ目的の一つは布教です。讃美歌を歌わせる、その伴奏のために楽器の演奏を習得させる、といった具合に伝播したのでしょう。その痕跡はあちこちの「伝統的」とされる小さな集落や村々の音楽にまで残っています。演奏形態、音楽様式のみならず、楽器の変化も当然起こってきます。今日「アウトクトナ(先住民)」の音楽と呼ばれているものにさえ、その影響を大いに見て取ることが出来るのです」
「ご存知のようにコロンブスのアメリカ大陸到達は1492年。そしてスペインの支配が完了するまでそこから約200年を要し、1700年初頭には、南米の主だったところはスペインに支配されています。そのため、その間に収奪された遺物、もちろん征服前の時代の楽器類などもここに含まれているわけですが、これらは現在、南米大陸に残っていないものも多く、僕の友人の南米古代音楽遺跡研究者はわざわざマドリッドの大学で研究しなければいけない、という事態も起こっています。保管に貢献した部分もあるのでしょうが、虐殺や収奪、破壊行為があったのは事実でしょう。
余談ですが、興味のある方は、色々な書籍がありますが、ベネズエラの故ウーゴ・チャベス元大統領がアメリカ合州国のバラク・オバマ前大統領に贈ったことでも有名な、エドァルド・ガレアーノの『収奪された大地-ラテンアメリカ500年』などを読んでみることをおすすめします。
もちろん、こうした侵略下の文化の変容について、ポジティブに捉えようとすれば「文化の融合(シンクレティズム)」と考えることもできるでしょう。ただ、「遺跡はあるが、音楽はない」という状況は我々にとっては悲しい現実です。どういう音楽が奏でられていたのか、その手掛かりは発掘された楽器たちにしかない。
そうした楽器を復元したり、レプリカを製作したりして、また多くのものが失われかけている今日でもなお手繰り寄せうる中南米大陸の音楽の根源、その語法、思想の源流の欠片たちを集めて、徹底的に考え、演奏しながら試行錯誤するしかないのです」
失われた彼らの音程感覚をイメージする
「今日まで受け継がれている征服前の音楽を知る手がかりの一つとして、ここにアマゾン地方のケーナがありますので紹介しましょう」
「陶器ではなく葦の一種で作られたものです。孔が表に5つ、裏に1つしかない。今日の一般的なケーナは表に6つ孔がありますから1つ足りない。また孔の大きさも、現代のケーナは不均等にして西洋音楽的に音程を整えていますが、こちらは均等です。吹いてみると、ほら、西洋音階しか親しんでいない人が聞くと、音痴に聞こえるような、どこか調子はずれのような音階になっている。
しかしこれこそが重要なのです。彼らが親しんできた音階であり、音程感覚なのです。そうした文字に出来ない音の情報を、楽器という具体的な形で受け継いでいるものは極めて貴重な資料です
今日、ケーナは南米で広く民衆に演奏されてきた楽器のように考えられがちです。しかし、これはケーナに限らず、今日ご紹介したような中南米古代文明の楽器たちの多くに言えることですが、(特に精巧な装飾や絵が施された陶製のものなど)権力者や王族など身分の高い人物の墓から出土することから、そこまで民衆的なものではなく、むしろ神聖な楽器、高貴な楽器であったのだろう、と考えられています。
ここには彼らが持っていた死生観、音楽の役割についての考え方を読み解く上でも非常に重要な手がかりが隠されているでしょう。僕自身は最近、こうした古い時代の中南米の音楽は、雅楽にも何らかの共通性が見いだせるのではないか、とにらんでいます。
ここからは妄想の話、しかしあり得ないことでもないんじゃないかと思うのですが…侵略時、先住民の笛奏者に西洋の笛を吹かせたら、あっという間にマスターし、ヨーロッパの奏者に勝るとも劣らない演奏をした、という記録が文献に残されているそうです。となると、奏者の中にはその腕をかわれてヨーロッパに連れていかれた人もいたかもしれない、またそれによって南米の当時の先住民の音楽がヨーロッパの音楽に影響を与えたかもしれない、少なくとも演奏技術が伝わったかもしれない…などと僕はよく想像します。ここまでの飛躍はありませんが、そのようなことを国立民族学博物館名誉教授の山本紀夫先生もご著書に書かれていたと記憶します。僕はケーナでバッハを演奏したりしていますが、そういう可能性を思い浮かべながら演奏すると果てしない広がりを感じます」
第二次世界大戦後、劇的に広がったケーナ
「第二次世界大戦後、南米ではポピュリズム政治とナショナリズムが萌芽します。これは1950年代にアルゼンチンで起こったムーブメントですが、「フォルクローレ」という、もともとは「民間伝承」や「民俗学」を意味していた言葉が、南米「民族」音楽を表す呼称として、半ば政治的かつ商業的に流布されます。
この頃に世界に発信された「フォルクローレ」音楽は、ギター独奏や弾き語りスタイルで、かなり地味なものでしたが、1970年のサイモン&ガーファンクルによる「コンドルは飛んでいく」の世界的大ヒット、それを機に火が付いた、ケーナやサンポーニャ、チャランゴなどを擁する編成による「アンデス民族系バンド」のブームと世界的な商業的成功によって、ケーナの認知度が劇的に上がり、花形楽器として広まります。
このことからも分かるように、今日我々が耳にし、ケーナの音楽として流布しているものの殆どは、たかだか4、50年の歴史しか持っていないものが多いのです。「民衆の」という意味での、ポピュラー音楽であることは確かでしょうが、いきなり商業的なブームにのって「南米フォルクローレの楽器」として世界に広がっていきましたので、今日ここまでに語ったようなことは随分長い間無視されてきたように思います。
僕もケーナに魅せられた最初のきっかけは、『コンドルは飛んで行く』を聴いたことでしたが、それから20年以上、ケーナを演奏し続け、勉強をし続けて、この楽器をきっかけに学んだ様々ことが、今日話したようなことに結びついているのだろうと思います。ケーナを通じて、人類が歩んできた道のり、失われた歴史、笛と人類の歩みなど…果てしない世界に思いを馳せるのです」
新しいケーナの音楽を
「いま僕がケーナ奏者としてやっている仕事は、大きく分けて2つあります。
一つは、この楽器を愛する者として、南米でも多くの人が知らないケーナの歴史を深く掘り下げていくこと。これは今日話したことに大いに関連していますね。時間の関係で、そのごくごく一部しか紹介できませんでしたが。
そしてもう一つは、ケーナの今日的・未来的な可能性、ケーナに求め得る音楽、そのための演奏技術を開拓していくことです。僕自身も作曲家ですから、作曲家の立場から「ケーナの音でこういう事が出来たらいいな」という要求があります。これは演奏者としての僕のモチベーションにもなっています。クロマティックや微分音の奏法、重音、タンギングなど様々な新しい技術を生み出し、開拓し、実用しています。これが結果として世界中の好奇心にあふれた作曲家にとっても刺激になればよいし、また多くのケーナ奏者に僕が持つ最先端の技術が広がっていけばいいとも思います。ですから、新曲初演や中南米でのマスタークラスも大切な仕事です。
失われた音、失われた歴史を手繰り寄せることで、新しい魅力を発見する…ケーナと接していると、こういうことがしばしば起こります。またそこにも新しい奏法、未来の奏法へのヒントが隠されている。源流に近づくことで、未来を描く手がかりを得る。ケーナには大きな可能性があると僕は信じています。」
(了)
岩川光(いわかわ・ひかる)
ケーナ奏者、作曲家、音楽プロデューサー
1988年青森県弘前市生まれ。9歳でケーナを独学で始め、12歳の時にはすでにコンサート活動を始めていた。2008年以降はボリビア、エクアドル、チリ、アルゼンチンといったラテン・アメリカ諸国を旅し伝統音楽についての知見を深める。2010 年に東京、2013 年にブエノスアイレスへ居を移し、現在はこの2都市を拠点に、世界各国や国際音楽フェスティバルでの演奏活動を行っている。2017年5月には史上初の試みとなる、ケーナによるJ.S.バッハ「無伴奏チェロ組曲1番~3番」の録音を完成させた。http://www.hikaruiwakawa.com/
◆取材講座:「岩川光とケーナ大解剖」(東京医科歯科大学教養部 文化・芸術公開講座 企画者:徳永伸一東京医科歯科大学准教授)
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取材・文・写真/まなナビ編集室