『お母さん、今回の英語のテスト42点なんや。めっちゃ悪いんやって。』と17歳の長女が言ってきた。『42点かあ。ちょっと見せて。』と口先では優しく言ったが内心では『42点って勉強していないな。』と心では火山が噴火する前のマグマが口元まであがってきているような心境だった。問題と答案用紙を見て『勉強していないな。なんて言わなくてよかった。』と正直胸をなぜおろす自分がいた。あまりにも難しく手も足もでなかったからである。
問題を見ながら、英語の復習からだと思い、中学3年の長男の教科書ガイドを見ながら復習する。中学3年の問題も解けなかった。『やばい。基礎が全くだ。』と思い中学1年までさかのぼり勉強することにした。はずかしながら自信をつけるためと言うのがが正直な気持ちであった。毎日続けていくうちに問題もだんだん解けるようになった。ホッとする自分とまだ高校生の問題まで解けるレベルにまで至っていないためひたすら参考書を開き問題を解く日々。『おっ、大分成長したな。』と手応えがあったのは、始めて3ヶ月が経った時だった。『お母さん、すごいやん。参考書付箋ばっかりやん。こんなに付箋はってるんだから、そりゃ上達しているわけだ。すごいやん。』と3人の子供たちに褒められた。褒められるというのは何歳になっても嬉しいものだ。心がバラ色になり意欲向上にもつながる。
更なる向上を目指して英語の勉強に打ち込む。『うーん。このままでは参考書という固いお手本だけだ。もっといろいろな方向から学ばないと。』と考えていた。その時、8歳の次男が読書をしていた。それも声を出して読んでいた。『なぜ、声を出して読んでるの。』と聞くと『声を出して読むと覚えられるんだよ。』と次男が言った。『これだ。英語の本だ。図書館にいって英語の昔話でも借りてこよう。』とひらめき図書館に足を運んだ。『桃太郎』の英語訳された本を借りてきた。びっくりすることに毎日2時間読書に時間と要した。英語版で書かれた本は私にとって素晴らしい未知の世界を教えてくれえた。『こんな言いまわし方もあるんだ。』と日々読書から学ぶことは測りきれなかった。
私はクリスチャンで毎週教会に通っているが、ある日外国人が日曜礼拝にやってきた。外国人の人は7か国後をしゃべれるみたいで片言日本語も喋っていた。岡山に今から行くようで岡山と言えば『桃太郎』と思い英語で話した。意外にも日々の小さな訓練は大きな成果となって実を結んだのである。まさに英語の本のページを頭の中で誰かがめくり、口元も誰かが操っているかのようで、言葉が溢れでるのであった。外国人は昔話に興奮していた様子でとても喜んでいた。
私にとって最初は英語を学ぶきっかけは長女のテストだった。何も分からない私がいろいろな方法で英語を学び、今では外国人と英語で話せるまで成長した。他国の人と話せることは考え方も広がる。さらには、話すことで歩みよれる。
今、私の心にある喜びは他国の人と英語を使って通じ合えた喜びで満ちている。これが英語学習の最大の魅力だと私は思う。歩み寄れる最大の手段だ。
継続は力なり
12月の一次審査通過作文/「学びと私」作文コンテスト
のあつばさあぐりさん(43歳)/香川県/最近ハマっていること:エッセイ応募
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