もともと英語がとても好きだったという訳ではない。色んなことに興味があって、その中の一つという程度だった。どういう巡りあわせか、予備校で英語を教えることになり、自分なりに受験英語を身につけた。その予備校が生徒減で解散とな
り、現在は個別指導塾の講師として毎日英語と数学を教えている。補習塾なので、英語の苦手な生徒が多い。苦手を好きにするのは難しいけれど、テストで点を取るのはそれよりは易しい。英語はそういう対象になった。
年下の友人に英語が大好きな男がいる。予備校での元同僚でもある。地道に努力を重ね、大学院に通い、今は大学講師をしながら親から受け継いだ田圃を守っている。
その彼が英語を学び直す機会を与えてくれた。彼の専門が英語史ということで、それを学ぶために原書を読み進めていくことになった。こちらは錆びついた英語のブラシュアップ。彼は自分の専門分野の見直し。両者の思惑が一致して、週に一回の英語研究会が発足した。
この英語研究会、とてもゆるい。一人住まいの彼の家を訪問し、まずコーヒーを飲みながらの世間話から入る。話題は時事ネタが多いものの、興にまかせて、中世ヨーロッパの政情から第一次世界大戦、パプアニューギニアの少数民族から江戸時代の武士の生活まで、とりとめもなく飛び回る。
雑談が一段落したところで、さて始めますかとなる。原書と電子辞書を取り出し、こちらは下調べしたノートも開く。彼は専門分野なので、とりたてて準備もない。この差が憎いといえば憎い。彼に言わせると、この研究会は大学院レベルの内容だという。主にこちらが英文を
センテンスごとに読み、その意味を言っていく。それを彼が補い追加の知識とあわせて解説してくれる。つまり大学院レベルの授業をマンツーマンで受けているのと同じことになる。
さて、ここから容赦のない時間が始まる。まずお互いの語彙レベルが違う。こちらはせいぜい見栄を張っても単語は8,000語程度。相手は20,000語以上。大学受験レベルの英語のなんと狭いことかと、毎回冷や汗をかきながら思い知らされる。解釈のミス、単語の浅い理解などはその都度こてんぱんにやられる。さすが大学レベル、受験英語と違い世界がとても広い。
英語は屈折語と言われる。もともと格に応じた語尾変化が名詞、代名詞、動詞、形容詞にあった。ラテン語と同様である。その屈折のおかげで、語尾をみれば、主語を省略しても、語順が変わっても意味が通じる。時代とともに古英語、中英語、近代英語と他の言語の影響を受けながらシステムを変え、現在のシンプルな英語になった。英語史を学ぶメリットは、例えば、いわゆる三単現のsがどうしてあるのかは、この英語史の知識がなければ説明できない。現在、中学一年生が夏休み明けに学習するこのやっかいなsは、英語史を知らない先生から「そういうものだから覚えろ」式に注入される。この原書講読、毎回、数ページ進んでいく。これはこちらの能力にかれが合わせてくれているからだ。
われらの英語研究会は、現在、古英語の文法を学んでいる。頭が痛くなるほど文法規則がぐちゃぐちゃしている。それでもゆるく続けていられるのは、同好同志の親愛感がベースにあるからだと思っている。大人同士の勉強会は脱線自由。脱線してもすぐに戻る。いつまでに何をしなくてはいけないという制約もない。お互い健康であれば、双方の事情の許す限り続けられる。
現在、原書の4分の1まで読み進んでいる。学び直しは当分続いていく。その間に、こちらも語彙力を上げ、対等とはいかないまでも、もう少し実りある会話が出来るようになりたいと思っている。そうなればもっと学びが楽しくなるに違いない。
ただ今、英語史に挑戦中
11月の一次審査通過作文/「学びと私」作文コンテスト
ニャンチ5号(61歳)/長野県/最近ハマっていること:中世ヨーロッパの生活史
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