「知識」だけだった紀貫之が身近に
今日の市の読書サークル協議会の歴史講座は「平安時代の社会と文化 一」、「土佐日記」と紀貫之という内容だった。文学史では紀貫之という名前を見聞きしていた。「古今和歌集」の撰者の一人であり、歌人、「土佐日記」の仮名序の作者である。国語の試験の答えを知っているという、詰め込まれた知識の一つにすぎなかった。
歴史的な捉え方は初めての経験である。講師の先生は平安時代の研究者である。先生のお話では、紀貫之自身は、他の文学作品の著者に比べて、出世頭とは言えないとか、二・三年の任期で転任し、内膳典膳という炊事係、大監物という蔵の出し入れの係などの役職をこなして、貴族となったのは四十七歳の頃とか。公務員として私も転勤を重ねてきたので、とても親近感を持った。
「土佐日記」は土佐守の任期を終え、京への帰路の旅を素材に作られた作品。私は、配られたプリントの旅程の地図の行程の宿泊地に印をつけてみた。こんな形で京へ戻る旅をしたのかと改めて思った。正月休みがあったり、荷物が多いので船を使ったりと話を聞きながら、私も旅の同行者の気分である。瀬戸内海で海賊が出るとは初めて知った。室戸岬を回り、和泉国へと渡るまで、海賊に注意しながらの旅であった。
物語は作者を女性に仮託しており、日記という書名ではあるが、事実と作り事が混じりあった文学作品である。そして、読者を意識して、楽しく読んでもらう工夫や、笑いを誘うような所もあるとか。現代文学と似通っていて面白いと思った。
紀氏は大伴氏と同じく武芸に秀でた氏族であることも初めて知った。ただ、和歌を歌う人たちではなかったのだ。平安時代を生きていた人が、私の中でこれまでとは違って見え、人間らしさを感じ始めた。同じ人間なのだという感じを持った。
知らなかったことと出合う楽しみ
「土佐日記」の写本についても面白いお話を聞いた。紀貫之の自筆本は、藤原定家、藤原為家、松本宗綱、三条西実隆によって書写されているという。権威があるのが藤原定家であるが、定家は原典を変えたため、文章が違う所があるという。
歴史という、違った目から文学作品をみると、こんなにも生き生きとして、人の息づかいまで感じることができて面白かった。
十月からは、岐阜大学で「古写本の読み方」を受講している。講師は中世の文学を専門の研究者である。
授業は箸袋や歌碑の変体仮名の説明から始められた。変体仮名はよく「文字をいかに楽に書くか」「手を抜くか」といった言葉で説明される。早く文章を書く必要があったのだろうか。私は長い間、変体仮名は美術的なものと思っていた。必要に迫られての変体仮名とは思わなかったのだ。
「更級日記」は藤原定家が書き留めなければ現代まで伝わらなかったとも言われた。まだまだ知らない、思いも寄らないことだらけである。
皆勤賞さん(66歳)/岐阜県/最近ハマっていること:やさしい英語の読物を読むこと
(応募時は「講座で学んだこと」というタイトルでしたが、金賞受賞にあたり、編集室でタイトルを変更しました。また、一部の文字や言い回しを調整しています)
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