いま日本の皇族は18人、うち14人が女性皇族
眞子さまのご結婚は来年の秋。『皇室典範』第12条では「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」とあり、眞子さまも結婚に伴い皇籍を離脱される。
いま皇族は次の18名の方々だ。
内廷皇族(天皇の直系の家族で独立した宮家を持たない皇族)
美智子様、皇太子徳仁様、雅子様、愛子様。
秋篠宮家 秋篠宮文仁様、紀子様、眞子様、佳子様、悠仁様。
常陸宮家(ひたちのみやけ) 常陸宮正仁様、華子様。
三笠宮家 百合子様、信子様、彬子(あきこ)様、瑶子様。
高円宮家(たかまどのみやけ) 久子様、承子(つぐこ)様、絢子様。
眞子様が皇籍を離脱されると、皇族は1名減り、17名となる。また、美智子様、正仁様、百合子様は80歳を超えておられるため、このままでは皇室の御公務にも影響が出るのではと懸念されている。
戦後、11宮家51名が皇籍離脱
なぜここまで皇族が減少してしまったのだろうか。
そもそもは昭和22年の『皇室典範』の制定に先だち、秩父宮、高松宮、三笠宮の三つの直宮家以外の11宮家51名が皇籍離脱したことに始まる。
その歴史的経緯について、多数の皇室研究本を上梓している小田部雄次静岡福祉大学教授は次のように語る。
「明治に制定された旧『皇室典範』では、第30条に「太皇太后、皇太后、皇后、皇太子、皇太子妃、皇太孫(こうたいそん)、皇太孫妃、親王、親王妃、内親王、王、王妃、女王を謂(い)う」、第31条に「皇子より皇玄孫に至るまでは男を親王、女を内親王とし、五世以下は男を王、女を女王とする」とあり、規定する「皇族」が今よりもずっと範囲が広かったのです。
しかし昭和22年に制定された『皇室典範』では、大正天皇の直系ではない朝香宮(あさかのみや)、賀陽宮(かやのみや)、閑院宮(かんいんのみや)、東伏見宮(ひがしふしみのみや)、北白川宮、久邇宮(くにのみや)、梨本宮(なしもとのみや)、山階宮(やましなのみや)、竹田宮、東久邇宮、伏見宮の11宮家がすでに皇籍を離脱しており、その範囲と数が減少しました。
その結果、皇族の戸籍である皇統譜には、大正天皇の直系男子の家である、天皇家、秩父宮家、高松宮家、三笠宮家のみが記されることとなりました。
そして新たな『皇室典範』の第15条に「皇族以外の者及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除いては、皇族となることがない」とあり、旧宮家の皇籍復帰は禁じられたのです」
11宮家皇籍離脱の背景にあるものは
昭和22年の『皇室典範』制定の背後にはGHQの皇室改革があったが、そうした外圧ばかりではなく、内政上の理由や、昭和天皇の意思や貞明皇后(ていめいこうごう、大正天皇の皇后)の同意もあったという。
「明治維新後、天皇家と宮家は非常に近い関係にあるからこそ、葛藤や確執もありました。また、宮家というのは、権威をもっているからこそ利用されやすい面もある。そのような葛藤・確執は満州事変以後の戦争遂行の局面においてとくに顕在化していったのです。また増えすぎる皇族数の削減は大正時代以来の重要な課題でもありました。11宮家の皇籍離脱の理由を知るには、もっと深い考察が必要だと思います」
過去に女性宮家の例はあるか
今後、女性宮家の報道も増えてくることが予想される。小田部先生によれば、女性が当主となった宮家は、幕末から明治初期の桂宮(かつらのみや)淑子内親王の例があり、近代になっても男性当主が亡くなって当主となった東伏見宮周子妃殿下などの例があったという。現在でも、三笠宮家や高円宮家は男性当主がおらず、妃殿下が当主となっている。男子不在の問題は、天皇家だけでなく宮家も抱えている問題なのだ。
「ただし、いま話題にのぼりつつある「女性宮家」は、男性当主が亡くなって妃殿下が当主となった形ではなく、はじめから女性皇族が当主として興す新宮家のことを指していると考えられます。宮家については先に述べたような歴史的経緯をわたしたちも理解したうえで、冷静で建設的な議論がなされないといけないと思います」(小田部先生)
小田部雄次
おたべ・ゆうじ 静岡福祉大学教授。1952年生れ。近現代の皇室制度・華族制度研究の第一人者。著書に『梨本宮伊都子妃の日記』『ミカドと女官』『家宝の行方』『華族家の女性たち』『李方子』『天皇・皇室を知る辞典』『天皇と宮家』『皇族に嫁いだ女性たち』『昭憲皇太后と貞明皇后』『昭和天皇と弟宮』『日本歴史 私の最新講義 近現代の皇室と皇族』『昭和天皇実録評解』(1,2)『大元帥と皇族軍人』(明治編,大正・昭和編)『49人の皇族軍人』『肖像で見る歴代天皇125代』ほか多数。
文/まなナビ編集部 写真/SVD