84歳で連句に挑戦

11月の一次審査通過作文/「学びと私」作文コンテスト

雀部信夫さん(84歳)/東京都

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雀部信夫さん(84歳)/東京都

 昭和7年生まれの私には、子供の頃から俳句や短歌への親しみがあった。母や兄は俳句を嗜んだし、正月に親戚が集まると百人一首のカルタ会をやろうという話になった。また、庭の牡丹の花を短歌に詠んで見せ合っていた両親を誇りに思うことがあった。私自身も現役時代に地方工場へ単身赴任をした時、無聊(ぶりょう)を慰める一手段として、ノートと鉛筆さえあればできる短歌を始めたものだった。そのような私でも、60余年前の学生時代に読んだ寺田寅彦の『連句雑俎』で連句の奥深さに魅せられたものの、煩雑に見えたルールに恐れをなして敬して遠ざけていたところ、平成28年秋に、私の住む町で「連句フェスティバル」が催され、俳人、詩人、国文学者に一般参加者も加わっての連句の集いに参加した。予想以上の面白さに惹きつけられ、早速連句の会二つに参加、更に連句を詠むには俳句を学ばねばと俳句の会にも入って、八十路の暮年は一気に忙しくなった。
 連句で戸惑ったのは雑(ぞう)と呼ばれる無季の句で、歳時記を手元に置き調べながら詠まないと、すぐ有季の句になってしまう。ブランコ、それは春の季語です、ラグビー、それは冬ですということになる。また、花の座、月の座にも慣れるまでは戸惑うし、恋の句に至っては、恋の呼び出しから恋の句、そして恋離れまでをこなすのは、ベテランでも容易ではないように見られた。
 連句を始めてから1年経った頃、捌き(連句の座で進行を捌く宗匠の役)になることを望まれ、何事も経験と捌きになったはいいが、5人の連衆(メンバーのこと)に過不足なく参加してもらうことに腐心した。連句二十韻を詠むのに3時間、知的バトルに冷や汗を流したものの後味はこころよかった
 俳句や短歌と違って、連句は共同作業であるだけに、予想もつかぬ展開になり、それが連句の魅力ではあるまいか。84歳という年齢から、新しいことに挑むことにためらいがあったが、今では始めて良かったと思っている。同好の仲間との語らい、創造の喜び、更に作品を妻子や孫に見せることが今では生き甲斐の一つになっている。
 定年後20余年が経ち、エンジニアだった私の本棚には技術書に替わって短歌・俳句・連句の本が並ぶようになった。人生90年あるいは100年時代を、健康で且つ生き甲斐を以て生きるには、アンテナを高く張り、興味のあることには貪婪に挑むことが良いのだろうと、年寄りの冷や水とからかわれるのは承知でエッセイに纏めてみた。

 

(編集室が文字の修正、ルビつけなどをしています)

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