「学びと私」コンテスト 8月はこんな作文が集まりました![1]

一次審査通過作文/「学びと私」作文コンテスト

8月から始まった「学びと私」作文コンテストに届いた作文を一部紹介します。60才でピアノを始めたという83才の方の作文には、人生の歴史を感じさせていただきました。

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8月から始まった「学びと私」作文コンテストに届いた作文を一部紹介します。60才でピアノを始めたという83才の方の作文には、人生の歴史を感じさせていただきました。

辞書をひかないで読んだら原書が読めました

 私が久しぶりに英語を読んでみようかと思ったのは、「まなナビ」の記事を読んだことがきっかけでした。

 退職後に大学院に入った男性のかたが、洋書で勉強していらっしゃるということを記事で読んで、私も駅ビルの本屋さんで洋書を買ってみたのです。

 私は、去年、化粧品会社を退職して、やはり退職した夫と二人暮らしです。たくさんの人に会えて楽しいけれど忙しい広報の仕事をしてきて、定年後に何をするかをちゃんと考えていなかったため、これからやることを探そうと思っているところでした。

 購入したのは、小学校5、6年生の時に初めて読んで以来、何度も読み返している「赤毛のアン」の原書、「Anne of Green Gables」(L.M.Montgomery)です。

 ある程度は覚えるほど繰り返し読んでいる本だから、わからない単語があっても読み進められるかもしれないと思ったのが、選んだ理由です。

 読み始めるときに、思い出したことが二つありました。

 ひとつは、女子大時代に英文科の友人が、初めて教材で洋書を読まされるのにあたって「クラスで先生から1日に20ページ以上読むように言われたの。そうでないとストーリーが進まなくてつまらなくなってしまうから、細かいことにはこだわらないで読み進めたほうがいいんですって」と言っていたことでした。

 もうひとつは、20代の時にちょっと通った、飯田橋の日米会話学院のリーディングの講座で、「ひとつのパラグラフにわからない単語が10個以上なければ、辞書をひかないで、読み進めてしまったほうがいいですよ」と教えられたことでした。19時ぐらいにスタートするそのクラスは、仕事が忙しかったこともあって、二、三回通っただけでやめてしまったのですが、そのことだけはなぜか記憶に残っていました。

 どちらも、要はチマチマと辞書をひいて時間をかけたりしないでどんどん進めて読むように、というアドバイスです。

 そこで、私は今回、「赤毛のアン」を辞書をひかずに、分からない単語にアンダーラインをひいて、1日20ページを目標に読むことにしました。

 読み始めてみると、このアンダーライン作戦が成功でした。

昨日はブルーのペン、今日はピンクのペンというふうに単語の下に線をひきます。単語の意味がわからなくても、「あー理解できてない」という罪悪感にとらわれず、

「1パラグラフに10個以下だからわからなくても大丈夫」と自分に言い聞かせて読み進めることができたのです。

 思ったよりわかる、というのが、読み始めた実感でした。

 中高のときから英語は嫌いな科目ではなかったけれど、大学受験にあたって、ある段階から苦手意識が出た気がします。

 高校で「試験に出る英単語」「試験に出る英熟語」といった本を頭から丸暗記するように言われて、それができなかったあたりからだったでしょうか。大学の受験問題もなんだか難しくて、自分はこういう英文をスラスラ読める偏差値の人たちとは違うんだと思ってしまったようです。

 しかし、今回、大好きな作家モンゴメリーの書いた原文の「赤毛のアン」を読み進められるのは、嬉しくなる体験でした。

 他の「まなナビ」の記事で、「日本人は、結構学校で英語を勉強しているから読むことはできる」と書かれていたのもその通りだと思いました。苦手意識を持って損したな、という、ちょっと嬉しい発見で、なんとか1日20ページ、だんだんペースを上げてそれ以上読み進めることができていき、なんとか1冊読み終えました。

 「赤毛のアン」は、孤児の少女アンが、ふとした間違いからカナダのプリンスエドワード島の農家に引き取られて、問題を起こしながらも成長していく物語。アンという少女の想像力や生命力に溢れた魅力が特徴、というのが一般的な解釈で、私もそう思って読んできました。

 しかし、今回、60代になって読んで、違った感じ方をしました。

 農作業を手伝わせる男の子を孤児院から引き取る代わりに、手違いで女の子を育てることになってしまった、独身の老婦人マリラの物語だというふうに感じられたのです。

 かたくなで、あたたかい気持ちを表に出すことなく生きて来たマリラが、アンとの暮らしを通じて変わっていくところが、丹念に描かれていました。

 各章で、アンが引き起こして大騒ぎになる、時に愉快なトラブル。多くの章の終わりに、それまで厳格で世間体を気にしていたマリラが、優しい気持ちを持つようになっていく様子を描いていることに気がつき、「これはマリラが成長していく物語なんだ」と感じられたのは、自分が歳を取ったせいもさることながら、原書でゆっくりと読んでいるおかげだったのかもしれません。

 化粧品会社で働いているときは、「今度の新製品発表会をたくさんメディアで取り上げてもらうにはどうしたらいいか」とか「新しい美白のシリーズのキャンペーンを成功させたい」とかいう目標を持ってがーっとがんばるのが、楽しかったのだと思います。退職した今、自分がどんな目標を持ったらいいか、正直なところまだよくわかりません。「学ぶ」ということがその目標になってくれるのかどうか、これから考えていきたいと思います。

〔Yさん(61歳)/東京都〕

学びと私コンテスト

 

60歳で始めたピアノ。バイオリン教室にも入って

「学びについて、お母さん、書かない?」と娘に言われて、思い立ちました。パソコンはできませんので、一度原稿に書いたものをパソコンに入れてもらい、何度か直して応募いたしました。お目汚しいなるかもしれないなと思いましたが、年も年ですし、書き記しておこうと思いました。

私は今年で83歳になります。学びということで、書き記しておきたいなと思いましたのは、音楽についてのことです。

私は幼い時に母を亡くしましたので、継母に虐められて育ちました。継母が生んだ妹は大変かわいがられていて、ピアノやお琴を習わせてもらっていました。とてもうらやましかったのですが、どうしても「弾かせて」と言えず、学校にあったピアノを見よう見まねで弾いていました。楽譜などは買えなかったので、先生から借りたり、学校にあるものを見せてもらったりしていました。

高校を卒業し、大阪で就職しましたが、お見合いを機に、郷里に帰って結婚しました。

子供が生まれてからピアノとバイオリンを習わせました。それぞれ上手かったと思います。本当は私も一緒に習いたかったのですが、恥ずかしいのと、どうしても気おくれがして、始めることができませんでした。子供たちはどんどん上達して、私の知らない曲を弾くようになりました。発表会のたびに、参考になればとレコードを買いました。レコードはとても高かったので、買うのに勇気が必要でした。子供たちはそんな高いものだとわかりませんから、1回か2回聴くと、放り投げてしまいます。そのあと何十回と聞くのが、私の楽しみでした。

音楽にはかなりのお金をかけましたが、子供たちは音楽の道には進みませんでした。内心がっかりはしましたが、音楽教師以外に就職の道もあまりないようだったので、仕方ないかな、と思いました。帰省すると、時々楽器を触っていましたが、だんだんそういうこともなくなり、とても寂しい気持ちでした。

その後、何十年も経って、60歳の時、東京で暮らすことになりました。娘の一人と暮らすことになりました。東京に来た翌年、思い立って電子ピアノを買うことにしました。生まれて初めて自分の楽器を買ったのです。子供向けの楽譜を買ってきて、時々、飼い猫にへたくそな演奏を聞かせていました。でも、娘に聞かれるのも恥ずかしかったので、一人の時に演奏していました。

その翌年かさらに次の年か、バイオリンを買いました。バイオリンは見よう見まねというわけにはいかず、バイオリン教室に入ることにしました。60歳を超えた生徒は私が初めてだとおっしゃっていました。先生は50代だったと思います。先生のもとで、とても簡単な曲から勉強を始めることにしました。左の指がうまく動かず、速い曲は弾けませんでしたが、ゆっくりなら何とか、という感じでした。

3年ほど習っていましたが、ある時、先生に呼ばれて、しばらく教室をお休みすることになりました、と言われました。その時は、旅行にでも行かれるのかな、と思っていたのですが、そうではなかったんです。お休みが半年ほどになった時、先生に呼ばれて行きましたら、教室はもう続けられないかも、ということでした。大腸がんだということでした。何とか体調を戻して、来年春にコンサートをするから、来てほしいと言われました。バイオリンはほかの先生を探しましょうか?と聞かれたのですが、65歳も超えていましたし、今さらほかの先生というのも、また気がひけますので、結構です、と答えました。

その翌年、コンサートに行きました。日経ホールだったと思います。すごく高い立派なビルのコンサートホールでした。先生は万全の体調ではなかったと思います。でも、お姫様のようなドレスを来て、すばらしい演奏をされていました。

帰りぎわに、CDも買いました。ゆっくり聞こうかな、と思っていたら、先生が亡くなられたとのハガキが届きました。

葬儀は神楽坂の教会だったかと思います。大好きな音楽を初めて習った先生だったし、当時の私より一回りも若い方だったので、とても残念でした。

いまは本当に時々、ひと月に1回か2回、気の向いたときに、ピアノをポロンポロンと音をたてるくらいです。とても弾いているとはいえません。でも、あの時にバイオリン教室に入っておいて本当によかったと思います。もし入っていなければ、いまも好きなことがひとつもできなかった、と思っていたことでしょう。

ぜひ皆さんに、こうした思いをお伝えしたいと思います。

〔ペンネーム:まりちゃんさん(83歳)/東京都/最近ハマっているもの:塗り絵〕

イメージ写真/(c)Botamochy、(c)Daniel / fotolia

 

(各作文のタイトルは編集室が付けました)

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