731部隊の生物兵器研究は果たして役に立ったのか?

常石敬一神奈川大学名誉教授「731部隊とは」(その3)

戦時中、中国の満州で、細菌戦に使用する生物兵器の研究・開発のために、捕虜やスパイ容疑で拘束した多くの中国人、モンゴル人、ロシア人などを、マルタ(実験材料となる人々の呼称)と呼び、人体実験の犠牲とした731部隊(関東軍防疫給水部本部)。果たしてその研究は何に役立ったのか(前の記事「15才の少年隊員に人体実験を手伝わせた731部隊」)

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戦時中、中国の満州で、細菌戦に使用する生物兵器の研究・開発のために、捕虜やスパイ容疑で拘束した多くの中国人、モンゴル人、ロシア人などを、マルタ(実験材料となる人々の呼称)と呼び、人体実験の犠牲とした731部隊(関東軍防疫給水部本部)。果たしてその研究は何に役立ったのか(前の記事「15才の少年隊員に人体実験を手伝わせた731部隊」)

生物兵器が使えるようになるのは遺伝子組み換え技術が生まれてから

731部隊の人体実験の犠牲になった人々は3000人ともいわれる。731部隊の日本側の人数も1940年には3265人まで膨れ上がっていた。これだけの規模で、これだけの犠牲を払って実験を行ったことに対して、良くも悪くもその成果はあったのだろうか。

「生物兵器があの戦争で、何か大きな役割を果たしたかというと、何もない」と常石先生は一言の元に言い切る。

「もちろん、731部隊長の石井四郎は生物兵器が成功すると信じて、一生懸命人体実験もやっていたし、安達(あんだ)という屋外実験場では細菌をばらまいてどれくらい感染するかの実験もやっていました。でも感染経路をコントロールできない限り生物兵器は使い物にならないんですよ。しかし感染経路をコントロールできるようになるのは1972年に遺伝子組み換え技術が開発されてから。それまでの生物兵器はまったく役に立たなかったんです」(常石先生。以下「 」内同)

違法な人体実験は医学の発展の基礎データとならない

731部隊の正式名称は「関東軍防疫給水部本部」だが、まさに「防疫」面で必要な研究もあった。それが、当時の日本軍を悩ませていた流行性出血熱(ネズミなどが媒介するハンタウイルスによって内臓出血や腎不全などを起こす中国北東部の土着病)と森林ダニ脳炎(ソ連で流行っていたダニが媒介する脳炎)だった。森林ダニ脳炎については実験動物で研究できたが、流行性出血熱については人体実験が必要だった。

しかし、違法な人体実験の結果もたらされたデータは、研究が次の段階に進む時の土台になりえないという。

「森林ダニ脳炎については、論文に基づいて実験動物で実験すれば同じ結果が得られました。つまり、論文がひとつの到達点になり、次の段階への出発点となりえたんです。しかし流行性出血熱のデータは違法な人体実験によるものなので、同じ実験はできないから何の出発点にもなりえなかったのです。ただ人体実験で人が殺された、というだけ。違法な人体実験は医学の発展には役立たず、ただただ資源の浪費。

それに731部隊で第2代部隊長を務めた北野政次(1894-1986年)は、一番大規模な流行性出血熱の病原体特定のための実験をしたんですが、これでさえ50人くらい。ワクチン開発などで二十歳の日本の男性1万人についてやりました、というのなら意味があるんですが、たった50人では実験にもならない」

不純物だらけの国産ペニシリン

「むしろ石井たちの貢献というのは、内藤良一も言っているんですが、とりあえず国産ペニシリンを作ったこと。しかしペニシリンは世界ですでに開発されていて、戦争で日本が鎖国状態になったから自前で調達しなければならなかった、というだけなんですね。しかも不純物だらけのペニシリンで、戦後、GHQは『日本のペニシリンは世界の水準に達していない』として一時禁止したほどでした。

もう一つのBCG(結核菌ワクチン)については、乾燥BCGといった全国一斉にできるようなものも開発しています。しかしそれも、ちゃんとしたデータをとって試したわけではなくて、日本兵相手に、BCGを接種して効果があった、なかった、と試しながらとりあえず作った、という感じです。ほかにもワクチンはいろいろ作ってますね。なぜなら、生物兵器を扱うためには、絶対にワクチンが必要だから。ペスト菌を撒くなら、自分たちがまずペストのワクチンを打っておかないといけないから。そして、ワクチンを手っ取り早く作るためにも人体実験が必要だったんです」

BCGは果たして役に立ったのか

日本人が戦後受けて来たBCG。これがあまり意味がないという。それは米国統治下にあってBCGを行っていなかった沖縄と、戦後ずっとBCG接種を続けた本土との、1968年時点での人口10万人あたりの結核による死亡率の比較からも明らかだという。

「沖縄が本土復帰するのは1972年ですが、厚生行政はそれに先立って行われていましたから、沖縄でも1967年からBCGが行われています。つまり、1945年から1967年までは、沖縄ではBCGが行われていませんでした。

結核による人口10万人当たりの死亡率は、1934年には、全国190.8、沖縄234.3。戦前は沖縄の方がずっと結核の死亡率が高かったんです。なのに1968年の調査では全国16.8、沖縄14.3。沖縄の方が死亡率が低いという結果が出ています。要するにBCGは無駄だったんです。そのうえBCGのためにみんな陽性になっているから、陽性の結果が出ても、結核にかかったのか、BCGのせいなのか、わからなくなってしまった。

科学研究というのは、成果を評価しなければいけないものなんです。731部隊も、戦後も、何が成果だったのかわからないまま進んでいる。つくづく日本は、始まったことを止めるのができない国なのだと思います」

(続く)

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取材・文・写真/まなナビ編集室(土肥元子)

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