「学びについて、お母さん、書かない?」と娘に言われて、思い立ちました。パソコンはできませんので、一度原稿に書いたものをパソコンに入れてもらい、何度か直して応募いたしました。お目汚しいなるかもしれないなと思いましたが、年も年ですし、書き記しておこうと思いました。
私は今年で83歳になります。学びということで、書き記しておきたいなと思いましたのは、音楽についてのことです。
私は幼い時に母を亡くしましたので、継母に虐められて育ちました。継母が生んだ妹は大変かわいがられていて、ピアノやお琴を習わせてもらっていました。とてもうらやましかったのですが、どうしても「弾かせて」と言えず、学校にあったピアノを見よう見まねで弾いていました。楽譜などは買えなかったので、先生から借りたり、学校にあるものを見せてもらったりしていました。
高校を卒業し、大阪で就職しましたが、お見合いを機に、郷里に帰って結婚しました。
子供が生まれてからピアノとバイオリンを習わせました。それぞれ上手かったと思います。本当は私も一緒に習いたかったのですが、恥ずかしいのと、どうしても気おくれがして、始めることができませんでした。子供たちはどんどん上達して、私の知らない曲を弾くようになりました。発表会のたびに、参考になればとレコードを買いました。レコードはとても高かったので、買うのに勇気が必要でした。子供たちはそんな高いものだとわかりませんから、1回か2回聴くと、放り投げてしまいます。そのあと何十回と聞くのが、私の楽しみでした。
音楽にはかなりのお金をかけましたが、子供たちは音楽の道には進みませんでした。内心がっかりはしましたが、音楽教師以外に就職の道もあまりないようだったので、仕方ないかな、と思いました。帰省すると、時々楽器を触っていましたが、だんだんそういうこともなくなり、とても寂しい気持ちでした。
その後、何十年も経って、60歳の時、東京で暮らすことになりました。娘の一人と暮らすことになりました。東京に来た翌年、思い立って電子ピアノを買うことにしました。生まれて初めて自分の楽器を買ったのです。子供向けの楽譜を買ってきて、時々、飼い猫にへたくそな演奏を聞かせていました。でも、娘に聞かれるのも恥ずかしかったので、一人の時に演奏していました。
その翌年かさらに次の年か、バイオリンを買いました。バイオリンは見よう見まねというわけにはいかず、バイオリン教室に入ることにしました。60歳を超えた生徒は私が初めてだとおっしゃっていました。先生は50代だったと思います。先生のもとで、とても簡単な曲から勉強を始めることにしました。左の指がうまく動かず、速い曲は弾けませんでしたが、ゆっくりなら何とか、という感じでした。
3年ほど習っていましたが、ある時、先生に呼ばれて、しばらく教室をお休みすることになりました、と言われました。その時は、旅行にでも行かれるのかな、と思っていたのですが、そうではなかったんです。お休みが半年ほどになった時、先生に呼ばれて行きましたら、教室はもう続けられないかも、ということでした。大腸がんだということでした。何とか体調を戻して、来年春にコンサートをするから、来てほしいと言われました。バイオリンはほかの先生を探しましょうか?と聞かれたのですが、65歳も超えていましたし、今さらほかの先生というのも、また気がひけますので、結構です、と答えました。
その翌年、コンサートに行きました。日経ホールだったと思います。すごく高い立派なビルのコンサートホールでした。先生は万全の体調ではなかったと思います。でも、お姫様のようなドレスを来て、すばらしい演奏をされていました。
帰りぎわに、CDも買いました。ゆっくり聞こうかな、と思っていたら、先生が亡くなられたとのハガキが届きました。
葬儀は神楽坂の教会だったかと思います。大好きな音楽を初めて習った先生だったし、当時の私より一回りも若い方だったので、とても残念でした。
いまは本当に時々、ひと月に1回か2回、気の向いたときに、ピアノをポロンポロンと音をたてるくらいです。とても弾いているとはいえません。でも、あの時にバイオリン教室に入っておいて本当によかったと思います。もし入っていなければ、いまも好きなことがひとつもできなかった、と思っていたことでしょう。
ぜひ皆さんに、こうした思いをお伝えしたいと思います。
(作文のタイトルは編集室が付けました)