仕事と結婚、出産、そして大学へ
40年前、大学受験に失敗し就職活動にも出遅れた私は、約10ヶ月のアルバイトの後に正社員として採用された会社で今も働き続けている。入社後も大学への憧れは止まず、当時岡山には無かった放送大学センター見学のために香川にまで出かけたりもした。
仕事に慣れ、良縁にも恵まれ、結婚出産とライフイベントを重ね、子どもたちの成長とともに充実した日々を過ごした間でさえも、大学への憧れは頭の片隅に常にあった。
長男が大学受験の年、45歳になっていた私も一念発起。岡山大学経済学部夜間主コースの受験を決意し入学願書を締め切り間際に提出。念願だった憧れの女子大生となった。
その年、私はコールセンターのオペレーター約100名の契約社員さんたちの勤務管理やセンター運営を担当していたが、3年間の短期プロジェクトとして立ち上げたセンターの閉鎖は着任時には決定済で、数名のスーパーバイザー以外の雇止めという嫌な役目だった。シングルマザーで仕事を掛け持ちして働く女性もいる中で容赦ない雇止めは、会社の方針に従った仕事とはいえ、不条理極まりない対応と情けなく感じていた。
終身雇用で家族同様に社員を大事にした日本の企業は、四半世紀で随分様変わりした。経済のグローバル化が進み、失われた10年と言われた低成長期が長引く中で格差は拡大。特にリーマンショック以降は就職氷河期、雇用格差、ブラック企業と厳しい現実を実感した。
息子と同い年の学生たちとともに
社会人特別枠で30代から60代まで私を含めた5名が入学。息子と同い年の現役学生と一緒に学ぶ夜間主コースは、それぞれの課題を持ってフルタイムの仕事と夜間の大学生活を両立した。私は仕事が終わりしだい自転車で30分かけて毎日通学し、週末には課題レポートに取り組んだ。現役学生も昼間のアルバイトで学費や生活費を賄いつつ勉学に励むしっかり者が多く、試験期間中は出題範囲などを教えてもらうことも多かった。
選抜で選ばれたマーケティングのゼミでは、慶応義塾大學の講義でも実践されたケースに従って、実際の企業での課題を解決する施策について討議。社会保障論では、学校で学ぶことのなかった社会保障制度や年金制度について学び、今後のあるべき姿を模索した。
また、夏休みを利用した特別講義では、オープンダイビングの資格を取得し、パラオ共和国への親善学習旅行にも学割価格で参加した。のちに天皇皇后両陛下が訪問された際には、当時の様子が懐かしく思い出された。4年後の卒業式には、生涯一度の晴れ姿として袴で出席し、一年遅れで大学生となっていた娘が保護者席から見守ってくれていた。
一時は4人家族の3人が大学生!
男女雇用機会均等法が施行され女性の社会進出が後押しされる中、高卒入社で結婚出産し働き続けた私は、大学への憧れと大卒への学歴コンプレックスを漠然と感じていたが、50歳を目前に大学を卒業してそれらは解消された。
長男に続き、翌年長女も私立大学へ進学。4人家族の3人が大学生となった我が家の家計は、全て学費に費やされた。国立の夜間大学で職場からの学費補助もあった私は、子どもたちの5分の1以下の出費で卒業できたが、子どもたちは就職後もずっと奨学金の返済に追われている。経済力が無いと進学の夢も描けないのが日本の現状。経済力に応じた授業料無償化や貸与型奨学金の施行は、急いでほしい課題の一つとして注視している。
学ぶ気さえあれば、いつでもどこでも誰からでも学ぶことはできる。いくつになっても問題意識を持ち、自ら学び続ける姿勢こそが大切だと今も私は考えている。
きくちいくこさん(58歳)/岡山県/最近ハマっていること:マラソン、世界遺産めぐり、市民ミュージカル出演
(応募時は「私の学び」というタイトルでしたが、金賞受賞にあたり、編集室でタイトルを変更しました。また、一部の文字や言い回しを調整しています)
イメージ写真/(c)hanack / fotolia