私が久しぶりに英語を読んでみようかと思ったのは、「まなナビ」の記事を読んだことがきっかけでした。
退職後に大学院に入った男性のかたが、洋書で勉強していらっしゃるということを記事で読んで、私も駅ビルの本屋さんで洋書を買ってみたのです。
私は、去年、化粧品会社を退職して、やはり退職した夫と二人暮らしです。たくさんの人に会えて楽しいけれど忙しい広報の仕事をしてきて、定年後に何をするかをちゃんと考えていなかったため、これからやることを探そうと思っているところでした。
購入したのは、小学校5、6年生の時に初めて読んで以来、何度も読み返している「赤毛のアン」の原書、「Anne of Green Gables」(L.M.Montgomery)です。
ある程度は覚えるほど繰り返し読んでいる本だから、わからない単語があっても読み進められるかもしれないと思ったのが、選んだ理由です。
読み始めるときに、思い出したことが二つありました。
ひとつは、女子大時代に英文科の友人が、初めて教材で洋書を読まされるのにあたって「クラスで先生から1日に20ページ以上読むように言われたの。そうでないとストーリーが進まなくてつまらなくなってしまうから、細かいことにはこだわらないで読み進めたほうがいいんですって」と言っていたことでした。
もうひとつは、20代の時にちょっと通った、飯田橋の日米会話学院のリーディングの講座で、「ひとつのパラグラフにわからない単語が10個以上なければ、辞書をひかないで、読み進めてしまったほうがいいですよ」と教えられたことでした。19時ぐらいにスタートするそのクラスは、仕事が忙しかったこともあって、二、三回通っただけでやめてしまったのですが、そのことだけはなぜか記憶に残っていました。
どちらも、要はチマチマと辞書をひいて時間をかけたりしないでどんどん進めて読むように、というアドバイスです。
そこで、私は今回、「赤毛のアン」を辞書をひかずに、分からない単語にアンダーラインをひいて、1日20ページを目標に読むことにしました。
読み始めてみると、このアンダーライン作戦が成功でした。
昨日はブルーのペン、今日はピンクのペンというふうに単語の下に線をひきます。単語の意味がわからなくても、「あー理解できてない」という罪悪感にとらわれず、
「1パラグラフに10個以下だからわからなくても大丈夫」と自分に言い聞かせて読み進めることができたのです。
思ったよりわかる、というのが、読み始めた実感でした。
中高のときから英語は嫌いな科目ではなかったけれど、大学受験にあたって、ある段階から苦手意識が出た気がします。
高校で「試験に出る英単語」「試験に出る英熟語」といった本を頭から丸暗記するように言われて、それができなかったあたりからだったでしょうか。大学の受験問題もなんだか難しくて、自分はこういう英文をスラスラ読める偏差値の人たちとは違うんだと思ってしまったようです。
しかし、今回、大好きな作家モンゴメリーの書いた原文の「赤毛のアン」を読み進められるのは、嬉しくなる体験でした。
他の「まなナビ」の記事で、「日本人は、結構学校で英語を勉強しているから読むことはできる」と書かれていたのもその通りだと思いました。苦手意識を持って損したな、という、ちょっと嬉しい発見で、なんとか1日20ページ、だんだんペースを上げてそれ以上読み進めることができていき、なんとか1冊読み終えました。
「赤毛のアン」は、孤児の少女アンが、ふとした間違いからカナダのプリンスエドワード島の農家に引き取られて、問題を起こしながらも成長していく物語。アンという少女の想像力や生命力に溢れた魅力が特徴、というのが一般的な解釈で、私もそう思って読んできました。
しかし、今回、60代になって読んで、違った感じ方をしました。
農作業を手伝わせる男の子を孤児院から引き取る代わりに、手違いで女の子を育てることになってしまった、独身の老婦人マリラの物語だというふうに感じられたのです。
かたくなで、あたたかい気持ちを表に出すことなく生きて来たマリラが、アンとの暮らしを通じて変わっていくところが、丹念に描かれていました。
各章で、アンが引き起こして大騒ぎになる、時に愉快なトラブル。多くの章の終わりに、それまで厳格で世間体を気にしていたマリラが、優しい気持ちを持つようになっていく様子を描いていることに気がつき、「これはマリラが成長していく物語なんだ」と感じられたのは、自分が歳を取ったせいもさることながら、原書でゆっくりと読んでいるおかげだったのかもしれません。
化粧品会社で働いているときは、「今度の新製品発表会をたくさんメディアで取り上げてもらうにはどうしたらいいか」とか「新しい美白のシリーズのキャンペーンを成功させたい」とかいう目標を持ってがーっとがんばるのが、楽しかったのだと思います。退職した今、自分がどんな目標を持ったらいいか、正直なところまだよくわかりません。「学ぶ」ということがその目標になってくれるのかどうか、これから考えていきたいと思います。
(作文のタイトルは編集室が付けました)