「教育を受けて立身出世するのはよいこと」
「日本は過去2度にわたり急速な近代化・経済発展を遂げてきました。広大なユーラシア大陸の東の縁に張りつくような極東の島国で、国土の70%は山林、地下資源もあまりない。地理条件に恵まれていない国が、明治維新後、あっという間に世界の列強に仲間入りし、第2次世界大戦で敗戦後、わずか25年足らずの1968年には、早くも西ドイツを抜いて世界第2位のGNP(国民総生産)となりました。
日本を追うように、シンガポール、韓国、台湾、中国も次々と近代化をなしとげています。この大きな原動力の根本を成すものが“教育”でした。そして日本や東アジアの国々が教育熱心であることのひとつに、儒教精神があると思います。もちろん、中国や韓国の受験地獄はそれが行き過ぎたものですが……」(谷中先生。以下「 」内同)
儒教には、教育とは人間を作るうえでの根本とする思想と、教育を受けて立身出世することを否定しない世俗主義があるという。
儒教とは孔子(紀元前552年~紀元前492年)を始祖とする思想である。シングルマザーの家に生まれ、小さい頃から貧しかった孔子が体得したのが、こつこつ努力して学ぶという姿勢だ。孔子の言説をまとめた『論語』は「学びて時に之(これ)を習う、亦(また)説(よろこ)ばしからずや」(『論語』学而篇)から始まる。
また、「学べば、禄(ろく)其(そ)の中に在り」(『論語』衛霊公篇)と、学べば結果として収入が得られる、と説くように、学問と収入とが自然に結びつくことを述べている。中国で6世紀末から20世紀初頭まで行われた官僚登用試験である科挙にも、この思想が通底している。
日本人の道徳観をかたちづくった儒学
この儒教を「儒学」として公の学に取り入れたのが、江戸幕府である。儒学は幕府公認の学として、支配階級である武士が学ぶものとなった。さらに、これを庶民の日常倫理道徳としたのが、石田梅岩(いしだばいがん。1716年~1735年)だ。梅岩は、人の善悪も幸不幸もすべて人の心によるものだとする「心学(しんがく)」を打ち立て、心学は爆発的に流行する。こうした考え方が、今の日本人の道徳観につながってくるのである。
こうした道徳観が、明治維新後の資本主義の発展に寄与したと谷中先生はいう。
「西欧では資本主義の発展にはピューリタニズムが不可欠と言われてきました。ピューリタニズムとは勤勉・質素を旨とするキリスト教的倫理観をさします。それに相当するものが、日本ではこの儒学だったのです」
明治の大実業家・渋沢栄一はその著作『論語と算盤(そろばん)』で、財産を築くことは善であること、それは正しい倫理に裏打ちされていなければならないと説いたが、まさにこれが日本の資本主義の根本だった。