家族でも専門家でもなく
「在宅医療を受けたいと思うなら、まず何より重要なのは本人の意思です」
東京農業大学の「生命の終わりを考える」講座で、看護師であり医療コーディ―ネーターでもある講師の嵯峨崎泰子先生は断言する。治療だけでなく、人生の最終段階を迎えた人や臨終の場にある人たちと医療現場の橋渡しをする立場ならではの話は説得力がある。
在宅医療とは、病院以外の自宅や介護施設などで受ける医療のこと。そこでの看取り(死を迎えるまでの医療や介護など)も含まれる。慣れ親しんだ環境のもとで人生の最終段階を過ごしたいという人は多いだろう。しかし現代は、最後の最後まで医療との関わりがあり、また病院で最期を迎える人も多い。自分の最期の迎え方を選ぶなら、はっきりと意思表示をしなければならない。
嵯峨崎先生は、どこで、どのように最期を迎えるかは、家族でも専門家でもなく、自分の意思で決めるべき、と強調する。逆に、自分の命の終わり方を自分の意思で選ぶことは、それほど難しいということなのだろう。
島根県の古い寺に生まれた嵯峨崎先生は、子どもの頃から人の生死が身近だったという。臨床の看護師・医療コーディネーターとなって以降も、終末期の患者や認知症の高齢者から不妊・子育てに悩む女性、家庭問題に悩む子どもまで、幅広い年齢層のさまざまな相談に応じてきたという。
そんな嵯峨崎先生が切実に感じるのは、自分の最期を自分で決めるのは大変なエネルギーを要するということ。間近になってからでは遅い、という。
人生の最終段階における医療にも営利事業の側面が
なぜ、自分の最期を自分で決めるのがそんなに大変なことなのだろう。その理由の一つに、医療も介護も営利事業の側面があることがある。人任せにしていると、必ずしも本人にとってよい方向にいくとは限らないのだ。
一例を挙げれば、体の衰えた高齢者に処方される過剰な薬の問題もそうだ。近年、薬価差益は少ないものの、必要以上に高額な薬を処方することや、沢山処方することで医療機関や薬局が儲かるし、命綱のように思って必死に薬を飲む高齢者も多い。しかし肝臓や腎臓の機能が衰えてくる高齢者には、薬効よりも、内臓の負担が勝る場合が少なくないのだ。
どっぷりお世話になってからでは遅い
「自分の最期を自分で決められる時期というのは、限られています。医療や介護にどっぷりお世話になってからでは遅いのです」と嵯峨崎先生は言う。自分の意思を伝えておいても、その通りにいかなかった例もある。
「人生の最終段階での延命治療はせず、自然に」という意向で、終の棲家と決めた介護施設に入居した、ある高齢者。当初は施設側にきちんと意向が伝わっていたが、経営上の理由で施設の運営会社が変わってしまった。そして臨終間際に、新しい運営会社とつながりのある医療機関に運ばれ、望んでいなかった延命処置が行われてしまったという。
費用もほとんどが保険の範囲内で
在宅医療を選択するなら、具体的にどんな準備が必要なのだろう。
まずは地域包括支援センターや担当のケアマネージャー、かかりつけ医、あるいは入院先の病院の退院支援室などに相談して、在宅医療を依頼する在宅医を探しておくこと。
自宅や施設で定期的に訪問診療・看護、介護サービスを受け、臨終の際には、この在宅医に死亡診断書を書いてもらうことになる。
また自宅で臨終までを過ごす場合は家族の負担を心配する人も多いが、必要以上に不安がることはない。
「積極的な治療の場ではありませんので、家族が特別な準備をする必要はありません。訪問診療や介護サービスにゆだねて、穏やかな時間を過ごすというイメージです。費用もほとんどが保険の範囲内で、入院よりかなり安くすむことも多いのです」(嵯峨崎先生)
在宅で受ける医療に疑問を感じた場合は、役所の介護保険相談窓口あるいは調査権限のある保健所に質問・相談ができる。
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文/斉藤直子 写真/まなナビ編集室