甘く見ていた中国語

12月の一次審査通過作文/「学びと私」作文コンテスト

天津炒飯さん(49歳)/愛知県/最近ハマっていること:小説創作

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天津炒飯さん(49歳)/愛知県/最近ハマっていること:小説創作

 今から約十五年前、兵庫県にある工業大学大学院の二回生だった私は、学会でポスターセッションと呼ばれるパネルを使った研究発表を行うため中国へ行くこととなった。
 日程は三泊四日、場所は北京。学会は研究室のメンバー全体で赴くことになっており、自分の発表以外にも他のメンバーの発表を聴講する必要があったのだが、合間には空き時間もあった。
 そこでその空いた時間に皆で示し合わせて観光をしようということになった。研究発表は英語で行い、またメンバーの中には何度か外国に行っている頼れる先輩がいたため、絶対的に中国語を話す必要性はなかった。
 ただ私は自分でもできるだけ話せるようにしておいた方がいざという時助かるだろうと思い、独学で中国語を学ぶことにした。
 期間は一ヶ月弱。その間、実験の合間に語学書を読んだり、TVの中国語講座なんかも視聴したりした。あまり時間はなかったが、それなりに覚えたつもりだった。
 特に分かりませんという意味の『不明白(プーミンパイ)』という単語は絶対忘れないでおこうと思った。これさえ覚えていれば何とかなる、そう思っていた。だが甘かった。
 実際北京に着いてみると……さっぱり分からない! 何を言っているのか少しも聞き取れなかったのだ。困った時は必殺の『不明白』で切り抜けようと思っていたのだが、質問自体されているのかどうかさえよく分からない始末だった。
 さらに言うと書いてある字も全然読めなかった。文字は日本の漢字と似ているからリスニングよりは理解できるだろうと踏んでいたのに、見たこともない漢字がいっぱい出てくるわ、知っている漢字でもその羅列が意味不明だわでもうお手上げ状態。
 結果頭の中が『不明白』一色となってしまったのだった。
 ……おかしい。もう少しできると思っていたのに、なぜだ。正直言うと私は少々タカをくくっていた。だが私がそう思ったのにはある理由があった。
 私は学部生の時、選択科目としてドイツ語を履修していた。そしてそこそこリスニングやライティングもできるようになった。だから中国語も少し学べば何とかやりとりできるようになるだろうと思っていた。
 ところが現実は違った。ではその要因は一体何なのか。確かに学習期間が短すぎたこともあるだろう。だが一番の要因はそこではなく、ドイツ語と中国語を十把一絡げにしてしまったことこそが真の要因ではないかと私は考える。
 ドイツ語は英語と綴りや文法で似ている部分がある。そして私も多分に漏れず中学から英語を学んできた。そのためドイツ語に関しては英語で培った経験や勘で何とか理解できるところがあった。
 しかし中国語は当然英語やドイツ語とは全然異なるし、日本語とも似ているようで本質的には違う。そのことを度外視し、中国語もドイツ語と同じように経験や勘で何とかなると安易に考えてしまったのだ。
 実際経験や勘は全く活かせず、結果悲劇が生まれたのである。
 全く愚かで浅はかだった。そんな私が北京で聞き取れたのは、結局立ち寄ったファーストフード店で聞いた『Wait、four minute』という言葉だけであった。
 そして北京観光では終始先輩のお世話になることになったのだった。
 私がこの体験で得られたこと。それは勝手な思い込みや先入観で物事を見ないことだ。それは言語に限らず全てのことに言える。私はドイツ語を学んでいたことでこのことをより痛切に感じることができた。
 今現在の私において学んでいる言語はないが、これから学習する機会が生じた際にはとりあえず独学はやめて、ネイティブの人に学んでみようと思う。

学びと私コンテスト

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