わざわざ教室まで足を運ぶこと
大友先生が“手間のかかる教育”に力を入れる背景には、現状への危機感がある。
「いまの若者のコミュニケーションに危機感を感じています。SNSもスマホのゲームもすべて自分と画面の中の自ら設定したアプリとだけのやりとりで、彼らには実体のある他者がいない。要するに自己愛と衝動の世界に生きています。そういう世界に長くいると、他者への配慮の感情を失い、先を見通せなくなっていくのです。脳科学の分野では、海外だけでなく、国内でもそうした研究報告が増えてきています。」
こういう時代だからこそ、実際に顔をつきあわせ、講師と受講生が議論を交わしながら学ぶ場は貴重なのだ。大友先生はこう続ける。 「先ほど、農業体験の講座が人気だという話をしましたが、まさに手間暇かけることがいま求められていると実感しています。
振り返れば、18世紀の産業革命は肉体労働の効率化を図りました。重い物は機械が動かしてくれ、また汗水たらして階段を上がらなくても、エレベーターやエスカレーターが人間を運んでくれるようになりました。そして20世紀末にはじまったIT革命は、考える必要のない思考の効率化を実現したのです。その結果、たとえば地図を読む必要はなくなってしまいましたよね。スマホで地図アプリ見れば、あるいはナビに従えば、目的地に連れていってくれますから地図の見方を知らなくてもよくなりました。おいしいお店もぐるナビに従えばよい。“自らの足と舌で探す”という実態経験も不要になりました。
しかし、こうした効率性の追求が人を幸せにしないことに、多くの人が気付き始めています。だからこそ、“学び”においてもわざわざ教室まで足を運び、講師や友人の顔を直接見て話す――ネットやメールで済ませることもできることに、受講生たちは、わざわざ時間とお金と労力を費やしているわけです。いま、手間暇かけることの価値はむしろ高まっているんですね。そういった要求に応えるためにも、我々もまた、手間暇かけた授業を提供していく必要があると思います」
もう一つ、最近の学生を見ながら、不安を覚えていることがあるという。それではどうしたらいいか――大友先生は、当サイト「まなナビ」へのエールを送ってくれた。
「内向きのコミュニケーションに加えて、学生たちが本を読まなくなった。これが問題だと思っています。いま、大学では研究者の養成が非常に難しくなっているのですが、その理由が、学生が論文を書けないからなんです。論文を書けないのは、読書経験が乏しいから。由々しき事態だと思いますね。こういう状況ですから、スタートした「まなナビ」は、記事を読んだ後に、関連する本を読みたくなるようなサイトになるといいなと思いますね。読書もまた手間のかかる営みで、だからこそ価値があるし、得るもの、残るものが大きいのです」
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2017年2月17日取材
文/砂田明子 写真/下重 修