小津映画の魅力再発見

11月の一次審査通過作文/「学びと私」作文コンテスト

鈴木功一さん(59歳)/東京都/最近ハマっていること:投稿

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鈴木功一さん(59歳)/東京都/最近ハマっていること:投稿

 現在、ある女子大で死生学の講座を受けている。講義の中で小津安次郎『東京物語』を観る機会があった。最初にこの映画を観たのは、大学時代、映画表現論の授業だ。十九才の自分には日本が誇る小津映画を観ても何がよいのか少しも分からなかった。ただ、原節子がバタ臭く、想像していたよりも美人ではなかったこと。『男はつらいよ』の午前様、笠智衆が随分前から映画で活躍していたのに感心したくらいであった。
 その後、税理士として独立したばかりの三十九才の頃に再度観なおした。その時は息子役、山村聡の立場にたっていた。医学博士になり親の期待も高く、本人も努力したろうに東京下町で町医者として患者のために休みもろくに取れない様が描かれている。
 地元足立区とも取れる風景のせいか、自身の境遇にも重ねて、両親にたいして申し訳ないなあという気持ちがした。東山千恵子扮する母親のように自分の母もまたいつ亡くなるとも分からないという思い。孝行しなければと決心した。一瞬の決意はそのまま実行には移らず未だに不肖の息子ではあるが。
 今回五十九才になっての三度目の鑑賞だ。泣けた。感動した。やっと小津映画の素晴らしさが分かったような気がした。
 来年、還暦になる。友人や同級生などでもガン等で亡くなるものもでてきた。死がとても他人事とは思えない。これからの生き方、いや死に方は、どうすれば良いのか。そんな気持を抱いて、この作品を観ると今までとは違い、その深さが良くわかる。
 尾道から老夫婦が上京する。離れて暮らす子供たちと再会するためだが、子供たちは忙しく邪魔者扱いされる。
 上映、間もなくの場面。祖母が孫と遊ぶところがある。祖母が語りかける。大きくなったら息子のように医者になるのかの問いに対して、知らん顔で遊ぶ孫が描かれる。「どちらにしろ、お前が大きくになるころまで生きていられるかねぇ」。なんでもない台詞に感涙してしまった。
 この場面に限らず、久しぶりに観て感じたのは基底部に流れている死の予感である。生きている限り避けることができない。いつ訪れるかもだれにも予想できない。人の思いとは裏腹な突然の死。その無常観こそが小津が訴えたいところであろう。今回の講義でよく理解できた。  映画のラストシ-ン。戦争で亡くなった夫を偲びながら義理の父母に尽くす嫁の姿がある。亡夫を忘れてしまいそうになるという彼女に対して義父の台詞が胸を打つ。「ええんじゃよ、忘れてくれて。ええんじゃよ、それで。やっぱりあんたはええ人じゃ」
 葬儀の簡素化や無差別殺人の報道が恒常化する現代。我々は死を遠ざけ、無感情化している。死にとらわれることなく早く忘れて、立ち直っていくことが肝要だと考えている。
 小津は優しく教えてくれる。死者と伴にあること。死者の遂げられなかった思いに寄り添うこと。その上で前に進むこと。強く感銘を受けた。
 小津映画に限らず、若い頃には理解出来なかったものや、歳月を経て受け取り方が異なることは沢山あるだろう。学び直しの意義深さや楽しさもそこにあると思う。

(編集室が一部の文字の修正をしています)

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