私が生涯学習という概念について触れたのは、大学三年生のときだった。就職活動を控えながらも、自分がどんな仕事に就きたいのか明確な答えを持てず、鬱屈としてた気持ちで過ごしていた。そんな不安からか、将来何かの足しになるかと思って色んな資格の勉強をかじっては投げ、かじっては投げを繰り返していた中のひとつに司書の資格があった。
司書の資格を取得する課程の中に生涯学習について学ぶ機会があった。すべての教育課程を終え、社会人となってからも学習しようとする人たちにとって誰でも利用できる図書館は重要な施設であり、人々の生活をより豊かにする役割がある、といったものだった。
大学を卒業し、就職して、その会社でずっと働いていくのだ、といった漠然としたイメージに縛られていた私は、多くの国では社会人を経験してから大学へ入ったり、大人が趣味、ビジネススキル問わずスクールに入学したり自己学習を進めることがごく一般的なことであることを知り、捕らわれ続けていた常識という紐が緩み、少し世界が開けたような感じがした。
しかし、私は自分のやりたいことを見つけきれず、結局は流されるようにバイト先だった会社へ就職した。仕事に慣れ始めた頃、私は生涯学習のことを思い出し、英語を勉強することにした。仕事で英語を使う機会など皆無だったし、私は英語の授業が嫌いだった。取る点数はいつも平均点から少し下ぐらいで、どうせ使う機会などないのだから、別にそれで良いとすら考えていた。そんな私が何故英語に目をつけたのかと聞かれると、なにか特別な理由があったわけではない。大学時代に何となく学んでいた色んな資格と同じように、使えて損はないよな、程度の考えだった。始めは思うように勉強が身につかず、何度も投げ出しそうになったが、少し休憩期間を設けたり、勉強方法を変えたりして、少しずつ英語に対する苦手意識が薄れていった。
そんな一進一退の日々を過ごしていると、ある一報が母親から届いた。私はまったく関知していなかったのだが、両親が興味本位でアメリカの永住権の抽選に申し込んでいたらしく、その抽選に私が当選したというのだった。まさに青天の霹靂で、今まで海外と一切の縁がなかった私にとって、あまりにも荒唐無稽な話だった。己の手にアメリカ移住の切符が握られていることを実感できないまま、英会話スクールのアメリカ人講師に相談してみると、一生に一度しかないチャンスだからトライしたほうがいい、との答えをもらった。
異国の地で独りで暮らす自信など全くなかったが、最後まで悩みに悩み抜き、私は挑戦することに決めた。背中を押してくれたのは、生涯学習の教えを受けて始めた少しの英語のスキルだった。もし、英語の勉強を何もしていなかったら、私はアメリカへ行くことはなかったと確信している。
そしてアメリカへ移住して一年半、まだまだ未熟すぎる英語スキルにくじけそうになることもあるが、新天地での生活は全てが新鮮で、毎日が学習だ。何となく勉強していた小さなスキルで培った自信が、私の世界を大きく変えた。
(作文の一部に編集室が文字の修正などをしています)