何歳になっても、人は学ぶことができる。むしろ一生涯、学びの連続ではないだろうか。
私は法学部の出身だが、当時学んだことはいつになっても、役に立っていることはがほとんどだ。数ある中でも、政治学の講義は毎回興味深く聴講していた。ある時課題に出されたレポートが特に印象に残っている。
「自分の両親の支持政党を明記し、それについてどのような政治思想の影響を受けているかを述べよ」という課題だった。父からは、プライバシーの侵害だと苦情も言われた。しかし左翼思想が割合多い大学教員に対し、右翼思想の強い父のことをレポートに書く方が、よほど目に留まって面白いのではないかと思ってペンを走らせていたのだ。一瞬、何かの調査目的なのかと疑りたくもなったが、そこは疑念を呑み込み、清々しいまでに左翼思想とは真逆の父の思想について述べたことを思い出す。
政治思想については、両親が政治に多少なりとも関心を寄せていれば、その影響は少なからず受けるものだ。私も父ほど傾倒はしていないが、右翼思想は根幹にあると自覚している。
今秋の衆議院議員選挙については、一度その色眼鏡を外してみることにした。最近の政局を鑑みると、単純に支持政党に投票するというのも安易な気がしてならないからだ。癒着による不正、不倫問題、軽率な発言、政党内の分裂など、選挙前から問題は山積していた。一体今の政治はどこへ向かうのだろうか。
毎日のように政見放送や新聞から、各党の選挙公約や出張を見聞きするが、どうも野党の中でも中道の政党ほど、何を訴えたいのか、これから何をしたいのか、主張がぼやけて見えた。だからと言って、数年前に話題となった「積極的棄権」という行為には走るまいとした。あたかも堂々と、白票を入れることが正義のように謳っていたが、これは大きな間違いであると解しているからだ。
実際の投票に関しては差し控えるが、今回の選挙は中道の政党ほど議席を減らした。体の良い理想ばかりを掲げても、有権者はもはやお見通しだ。
今回の選挙を通して、あの時の課題レポートのことが思い出された。講義担当の先生は、両親の支持政党を書かせることにより、そこを政治への関心の入口としたかったのだ。積極的棄権などせず、メディアの情報も鵜呑みにせず、自身の目で正しい判断をするべきである。選挙権を持った今、課題レポートの意図が痛い程よくわかる。政局が動く度に思い出すレポート。忘れられない貴重な講義内容だ。