古希過ぎて江戸の勉強

11月の一次審査通過作文/「学びと私」作文コンテスト

安馬卓夫さん(72歳)/東京都/最近ハマっていること:川柳俳句

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安馬卓夫さん(72歳)/東京都/最近ハマっていること:川柳俳句

 数年前から時代小説を愛読するようになった。どうしてそうなったか、自分でもよく分からない。よく年を取ると、テレビドラマでも時代劇を好むようになると聞く。テレビと小説の違いがあるが、どうやら私もそのクチかもしれない。
 時代小説の魅力は何といっても、武士、浪人、商人、職人、町方や岡っ引きなど多彩な登場人物のキャラクター。そして、剣戟(けんげき)あり、人情あり、恋ありのストーリー展開にある。奇想天外、荒唐無稽もアリで、痛快な話が繰り広げられるのが面白い。
 取り憑かれたように文字通り濫読してきたのだが、最近、ちょっと立ち止まっていた。というのも描かれている世界の時代背景の知識がないので、イマイチ分からない所が出てくる。私が読んでいるのは江戸の世を舞台にしたものだが、その江戸時代も300年近い歴史をもつ。現代のように社会の変動が激しくスピーディではないにしても、確実に時代は変動いていたはずだ。それを知らないと、ストーリーと人物の行動や思いは伝わってこない。つくづく小説を読んできた割には、江戸という時代への無知を思い知らされたのである。
 時代背景を知ったうえで読むのと、知らずに読むのとでは、面白味に格段の差があるに違いない。そう考えた私は、江戸時代の研究、いや勉強を始めた。教室は地元の図書館である。もとより独学だから、手探りである。面白可笑しく、時代小説に親しんできた老身にはちょっと辛いことだったが、合間に小説を読む楽しさがあるのが救いだった。
 まずは時代の変化を辿りながらの経済政策と貨幣価値を勉強した。とりわけ、江戸庶民の暮らしと物価に関しては、多くの参考資料を閲覧席に運び、日がな読み耽った。江戸庶民のお金にまつわる価値観や食生活には時空を超えて、共感するところが多かった。庶民の子弟の教育に関する文献を読むときは、古希過ぎて勉強している自分を重ね、感慨深いものがあった。
 体系だてて勉強する方法論を持たないので、関心は江戸の法制の整備や行政システム、犯罪の取り締まりなどへと、思いつくままに向いた。そんななか職業図鑑のような分野には、興味を掻き立てられた。それぞれの職業の収入、その家計への配分など、堅い資料の多い中ホツと息をつかせてもらった。
 堅い参考資料を相手の勉強は、シンドイことだったが、しだいに時代小説と併読するようになった。すると勉強の成果か、“ああ、だからこうなのか”と、江戸社会の趨勢や登場人物の行動や言葉がストンと腹に落ちるようにもなった。つまり、小説の物語世界を、より深く掬い取れるような気がして、面白味が増すのだった。
 私の勉強は、試験があるわけではないし、論文にまとめようなんてことも考えない。ただ、この年になって子供のように勉強できる。これが流行りも言葉で言えば、私のリア充かな?と、思ったりするのである。

学びと私コンテスト

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