今の私の世界は、大学二年生の経済学の教室で始まった。
自分は今、酷く不安定な世界で生きているという思いがじわじわと侵食し始めたのは小学校の頃だと思う。ツインタワーに飛行機が突っ込んだからだ。中学、高校、大学と時間が過ぎていくにつれ、焦燥感は強くなっていった。中学時に旅行に行った、戦時下のパキスタン。アメリカに移住し、初めて目の当たりにしたイスラム教徒への感情。オサマ・ビンラディンが殺された時にはクラスメートたちが笑いながら彼の写真を的にダーツをしていた。1%の裕福層に怒りを示して大学を占拠するアメリカ人。隣町に立った慰安婦像。搾取され続ける世界の貧困層。移民問題で荒れる欧州。今ではISISにポピュリズム。北朝鮮のミサイルにイギリスのEU離脱。人種間の対立で起こる暴動やテロもニュースに上がり、自分の回りでも歪みを感じることが多くなった。電車の中でプラカードを持った人などを目にする度、じわじわと不安が込み上げてくる。
「今日はリカード理論をやりましょう」
ペルシャ出身のおじいちゃん教授が経済学の基礎講義で説明してくれた経済理論。AとBの国がそれぞれ二つの製品、例えば衣服と穀物を作るとする。両者の中でどちらかといえば衣服の生産が得意なAが衣服だけを、どちらかといえば穀物の生産が得意なBが穀物だけを生産し、その後貿易でお互いの製品を交換すれば、両者の生産性が上がり、一国では生み出せない量の製品を手にすることができるという、グラフ上にたった二本線を引くだけで語ることができるシンプルな理論だ。
「私にはこれが、世界平和の方程式に見えます」
ホワイトボードを眺めながらポツリと呟いた教授の言葉に、私はノートを取っていた手を止めてグラフを見つめた。そして気付いた。物質的豊かさを最大にするには各国が自分が得意なことに専念し、他国と協力する必要がある。自分たちの豊かさが他国にも委ねられているのなら、他国を攻撃することはそう簡単ではない。グローバル化された今の世界がその証拠だ。第一次、第二次世界大戦のように他国に火の雨を降らせることはそうそうできない。そうすることによって打撃を受けるのはその国だけではなく、そこと貿易をするたくさんの国もだからだ。勿論、現実にはもっとたくさんの思惑が絡んでいるが、ただシンプルに考えれば物質的豊かさの最大化は幸福の最大化に繋がる。
それまで私の中で世界平和は愛と繋がっていた。しかし教授の一言でそうではないのかもしれないと初めて思った。細かな思惑を排除するか、よりよい利益を与えることで各国の繋がりをシンプル化すれば、リカード理論を使った幸福最大化の方程式がデザインできるのではないだろうか。できあがった幸福の原点が愛であろうと合理主義であろうと、世界中の人が笑っていられるのならば、肩を組んでいられるのであれば、関係ないはずだ。いや、愛という曖昧な概念より合理主義の方が持続可能性は高いかもしれない。
この発見の直後、私は専攻をビジネスから国際ビジネスに絞った。さらに発展途上国中心に勉強をし、物質的豊かさの最大化に取り残されている国の原因を探った。今は世界を一瞬にして繋ぐことができ、国境がないITという文明の利器を使ったデジタルマーケティングを学ぶ為に大学院に通っている。ここ数年間、私を突き動かしてきたのは教授のあの小さな呟きだ。
大学後半から大学院にかけて「何を目指しているの?」と質問されることが増えた。私の答えを聞いて、大抵の人は笑う。しかし私は幸福の方程式の欠片を学んでしまった。だから聞かれる度に堂々と胸を張ってこう答えるのだ。「私は世界平和を目指している」と。