「サヨナラダケガ人生ダ」が導き出す「ハナニアラシ」
「文章の基本は『起・承・転・結』。なかでも『転』がもっとも難しいのです」
こう語るのは、武蔵野大学で「短文の魅力・書き方」の講座を担当する高村先生。先生が起承転結の見本として挙げたのが、井伏鱒二の次の詩句だ。
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
サヨナラダケガ人生ダ
じつはこの詩句は、「勧酒(かんしゅ)」という中国の漢詩を和訳したものだ。
勧酒
君に勧める金屈巵(きんくっし)
満酌(まんしゃく)辞するを須(もち)いず
花発(はなひら)けば風雨多く
人生別離足(おお)し
(君に金の盃を勧めるが、どうかなみなみと注いだ酒を遠慮しないでくれ。花が咲けば雨風が花を散らすように、人生というのは別離の多いものなのだ。訓読・訳は編集部)
唐の詩人・于武陵(うぶりょう)が作った漢詩も素晴らしいが、井伏鱒二による和訳は、漢詩のもつ雄大さはそのままに、世界が日本的情緒に移しかえられていて、現代の私たちが読んでも胸に迫るものがある。まさに名訳であり名詩である。
最後の「サヨナラダケガ人生ダ」がことに有名だが、それを引き出した「ハナニアラシノタトエモアルゾ」こそが “転”だ。
「起・承・転・結」は日本では、文章を破たんなく作るときの構成法のように受け止められているが、本来は4行からなる漢詩(「絶句」という)の各行の詩句を、起句・承句・転句・結句といったものだ。起こし、承(う)けて、転じて、結ぶ。そういう目で先ほどの詩句を見れば、“転” の巧みさに気づく。
「短い文章は、“転” をどう思いつくかが、人を惹きつける文章になるかどうかの分かれ道となります。“転” が大きければ、文章も大きくなります。短文の達人であった向井敏(むかいさとし)さんの『文章読本』にも、“転” の重要性が説かれています」(高村先生。以下「」内同)
そしてこう続ける。 「どんな文にも、かならず起承転結がなくてはならないというわけではありません。ただこれを心がけていると、淡々と終わらないで、きちんと内容が伝わるのです」
名文を写すことを勧めない理由とは
高村先生は長く日経新聞の論説委員として、社説や一面のコラム「春秋(しゅんじゅう)」を執筆してきた、書くプロだ。その講義の中で、ひとつ意外だったのは、「写す」ことを勧めなかったことだ。
一時期、“なぞり書き”がブームになったように、まるで写経のように名文を写すことで、名文のリズムや書き方をわがものとすることができる、と古くから言われてきた。しかし先生は「写す」ことを勧めないという。
「なぜなら、「写す」だけでは、人は考えないからです。書くことは自分の頭を使う作業です。それを捨てては元も子もない。もしその文章を自分のものにしたいのなら、「削る」ということをしてみてください。新聞の1面コラム──朝日新聞なら「天声人語」、日経新聞なら「春秋」──こうしたコラムは限られた文字数のなかに知識・情報や意見を織り込んで、しかも人を惹きつける文章を書くことが求められます。たとえば、このようなコラムを1/3に縮めてみる。すると文章の骨格が浮かび上がってきて、書いた人の意図や、なぜそこに修飾語を入れたのかがはっきりしてきます」
そうはいっても、名文を見本に勉強しても、いざ人に読んでもらう文を書くとなると、なかなか書き出せない、どうしたら自分の思いを文章で伝えられるのか、と悩む人はたくさんいる。そんな人に向けて、先生が説くのが、5つのポイントと、4つの心構えだ。