ホームズの映像化は映画草創期から
アーサー・コナン・ドイルが初のホームズ物『緋色の研究』を発表したのが1887年、リュミエール兄弟がパリで動画を有料公開したのが1895年、最古のホームズ映画『シャーロック・ホームズ裏をかかれる』(サイレント)が1903年、ニューヨークでトーキー映画が初めて一般上映されたのが1923年、ドイルが最後のホームズ物「ショスコム荘」を発表したのが1927年、そしてトーキーのホームズ映画『シャーロック・ホームズ』が1929年。
ホームズは映画とともにあり、映画もホームズとともに成長した。ホームズは映画草創期から映像界の偉大なアイコン(偶像)だったのだ。その中でも特筆すべきホームズを紹介していこう。
犯人が消えたり現れたり
ホームズ映画の最も古いものは、先ほど挙げた『シャーロック・ホームズ裏をかかれる』(米、1903年)。もちろんサイレントである。
1895年に有料公開された「映画」という新しい技術は、最初は短いドキュメンタリーから始まった。人々はすぐに、映像技術を使うと面白いものが撮れることに気づいたのだという。つまり、映像とはトリックだということだ。
この『シャーロック・ホームズ裏をかかれる』でも、いきなり犯人が消えたり現れたり。まるで新しいおもちゃを手にした子供のように、製作者がわくわくしながら作っているのが伝わってくる。とくに素材が推理小説というまさにトリックを扱ったものだから、ピッタリだったろう。
1912年、仏英合作のホームズシリーズ8作が作られた。そのうち『マスグレイヴ家の儀式』『ぶな屋敷』が紹介された。ホームズ役はジョルジュ・トレヴィーユ。まるで大学教授や銀行家のような実直そうなホームズで、サイレントの特徴として、演技もはっきりわかるように派手めになっている。
続いて、ウィリアム・ジレット主演の『シャーロック・ホームズ』(1916)。ジレットは、『トム・ソーヤ―の冒険』を書いたアメリカの作家マーク・トウェインの口利きでデビューした俳優。パイプをふかしながら歩き回り、長広舌をふるうという、原作さながらのホームズを演じた。この時ジレット63才、やや老成したホームズだ。彼が被ったのが鹿撃ち帽(ディアストーカー)。以後、このイメージが独り歩きすることになる。音声が入っているが、これは後年、ジレットが83才の時に入れたもの。なお、この映画は2014年に、約100年ぶりに発見されたことでも話題となった。
ホームズらしい風貌のエイル・ノーウッドがホームズを演じたのが、1921年の『シャーロック・ホルムス』シリーズ。面長で、両こめかみが禿げ、パイプをくわえた風情はいかにもホームズ。しかも変装にも優れていたらしい。原作者コナン・ドイルも、彼の演技をほめたたえていたという。
面長な顔立ち、変装上手という特徴は、1922年のジョン・バリモア主演『シャーロック・ホームズ』にも受け継がれた。バイオリンを抱えているシーンもあるが弾いてはいない。この中で描かれるモリアーティは、背が高く猫背でざんばら髪、怪人のような風貌、長い指の動かし方が妙に優雅でそれが逆に恐ろしさを醸し出す。最後には、ホームズがこのモリアーティに変装した場面も出てきて、変装を解くシーンは現代の特殊メイクのようだ。
このように、「ホームズ」という一つのテーマを通してサイレント映画を見ていくと、演技がよりリアルになってきていることがよくわかる。そして時代はトーキーに移る。
まるで弁護士事務所のようなオフィス、221Bが221Aに
実際に映像の中でしゃべるホームズを最初に演じたのは、1929年『シャーロック・ホームズ』のクライヴ・ブルック。ただし当時すべての映画館がトーキーを備えてはいなかったので、この映画はサイレントとトーキーの両方が作られた。つまりブルックは、サイレント映画で最後のホームズ役者とも言える。
トーキーになると、ますますホームズ映画は増えていく。その中でもこれは面白い!と思ったものを。
レイモンド・マッシーがホームズを演じた1931年の『まだらの紐』には驚いた。ホームズの事務所がまるでどこかの弁護士事務所のように広く、女性が数人立ち働いていて、タイプを打つ音が響いている。そんなオフィスに、マッシー演じるホームズがパイプをくわえ、ガウンを羽織って入ってくるので、大きな違和感がある。また、なぜかベイカー街221Bとあるべき番地表示が107になっているが、その理由は分からないという。
1932年にクライヴ・ブルックが再びホームズを演じた『シャーロック・ホルムズ』では、番地表示が221Aとなっている。ちなみにコナン・ドイルは1930年に死去しているから、原作者がこうした現状を知ってどう思ったかはわからない。
「生きて呼吸する最高のホームズ」と呼ばれた
1939年、見るからにホームズ、という役者が現れる。南アフリカ生まれのイギリス人俳優、ベイジル・ラスボーンだ。後年、ジェレミー・ブレットが出てくるまで、ラスボーンは歴代最高のホームズと激賞された。面長で目力があり、パイプが似合う。中西先生によれば、彼の演じるホームズ・シリーズの中には、時代背景を反映して、ドイツを中心とする枢軸国との戦いを描いたものもあるという。
もう一人、史上最高のホームズとの評価を分け合ったのが、ロンドン生まれのピーター・カッシング。講座で紹介されたのは、1959年の『バスカヴィル家の犬』。「生きて呼吸する最高のホームズ」と呼ばれ、イギリスのシャーロックホームズ協会が唯一公認したホームズだったという。
007シリーズでボンドを演じたロジャー・ムーアもホームズを演じた。また、旧ソ連でも1970年代~1980年代にかけてホームズ物が作られ、ワシーリー・リヴァーノフというロシア人俳
「現代最高のホームズ」とジェレミー・ブレットは『マイ・フェア・レディ』
1984年、「現代最高のホームズ」とされる、ジェレミー・ブレットが現れた。グラナダ・テレビ制作『シャーロック・ホームズの冒険』(1984~1994年)だ。
風貌や立ち居振る舞いは、まさに原作からイメージするホームズそのもの。そのうえ小道具においても、今までのどのホームズ物よりも原作に忠実だった。たとえばパイプについても、原作当時の柄の真っ直ぐなパイプをふかしている。
ブレットは、ホームズがあまりにはまり役すぎて、それ以外の映画が思い浮かばないが、 じつは31才の時に出演した『マイ・フェア・レディ』(1964年)ではイライザ(オードリー・ヘプバーン)に恋する青年貴族フレディを演じている。
ブレットは心臓病で、1995年に61才の若さで亡くなり、あの伝説的なホームズを見ることはできなくなった。
ホームズは永遠のアイコン
その後も、映画やテレビドラマで多くのホームズが現れた。ロバート・ダウニー・Jrの『シャーロック・ホームズ』シリーズなど有名なものもたくさんあるが、なかでもちょっと変わったホームズ映画が2つ紹介された。
ひとつは、1987年の『帰ってきたシャーロック・ホームズ』。モリアーティの弟の復讐によって、未知の細菌に感染したホームズが、治療法を未来に求めて冷凍状態となり、約60年後、現代に復活する、というSFめいた映画である。ホームズ役はマイケル・ペイントンだ。
もうひとつは、93才になったホームズが出てくる『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』(2015年)。ホームズ役はイアン・マッケラン。『X-メン』のマグニート役といえば、思い浮かぶ人も多いだろう。引退して養蜂家として余生を過ごしていたホームズが未解決事件に挑戦する話である。
そして最新のホームズが、NHK BSプレミアムで再放送中のカンバーバッチ演じる『シャーロック』だ。舞台を現代に移し替えてはいるが、こうした数々のホームズの進化形に位置するのがこのカンバーバッチ版『シャーロック』かもしれないと、中西先生は語る。
ワトソン博士は原作でも第2次アフガン戦争(1878~1881年)に軍医として従軍し、負傷して帰還した人物と描かれているが、カンバーバッチ版『シャーロック』でも、アメリカ同時多発テロ後のアフガニスタン紛争(2001~2014年)で負傷した軍医として描かれており、原作を驚くほどうまく現代に移し替えている。
この最新のホームズを、過去のホームズと比べながら観るのも、大きな楽しみとなるだろう。ホームズは映像文化がある限り、永遠のアイコンなのだから。
◆取材講座:「シャーロック・ホームズの魅力と謎」(早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校)
文/まなナビ編集室