母を連れてインドネシアに行ったのは去年の11月の事だった。あの時は、出発前にデモで燃えるジャカルタのニュースを見てしまい、不安でいっぱいだった。
バリのングラ・ライ国際空港経由でジョグジャカルタの街に着いた時には、ヘロヘロになっていた私だが、出発前に二言三言覚えていったトラベル用会話に加えて「国内線」「空港」「タクシー」「ありがとうございます」という4語を完璧に発音できるようになっていた。何があったかは何となく察してもらえることと思う。出会った人は皆親切で、根気良い人達だった。ありがとうの発音だけ流暢になる程度には・・・。
バリでのことである。ホテルマンに英語で空港までの交通手段を訪ねた。彼は困ったように笑うだけで、しまいにはカウンターの奥に隠れてしまった。翻訳アプリも旅の会話本も見てくれなかった。
「英語・日本語が通じます。」そんな予約サイトの煽り文句を信じ込んだ私がいけなかったのだ。だが嘆いていてもタクシーは来ない。母は後に下がって居ないフリをしている。私は一旦部屋に戻り、スマホを開いて付け焼き刃のインドネシア単語を練習した。
たった一言で彼は安心したように頷き、頑なに話そうとしなかった英語で丁寧に案内をしてくれた。タクシーを待つ間、彼は私たちの「ありがとう」の発音が正しくなるまで
教えてくれた。彼にとっての空港は英語の「エアポート」じゃなくて母国語の「バンダラ」だったらしい。
弟に会いに来たにも関わらず、この旅で一番印象に残ったのは、この出来事と、彼の表情の変化だった。自分の国の言葉でコミュニケーションを取ろうとする姿勢が相手の心を思った以上に開いてくれるということが、実体験を通して理解できたからだと思う。
人生って色々なことが起こるものだ。
9月上旬、私はまたジョグジャカルタに居た。今回は両親を連れてインドネシアに訪問することになった。というのも弟が現地の女性と結婚することになったからだ。とても良い子だ。私は彼女に結婚おめでとうと言うために、通勤中やジムでのトレーニング中に勉強を続けた。
教会での式も彼女の実家での披露宴も滞り無く進み、全てのお客様と握手をし感謝を伝えた後、一日休んで私たちは帰路についた。
式の前日まで私達のガイド役をしてくれた義妹は、送迎してくれた空港で、私たちと離れたくないと涙を流していた。
(今だ、今。いろんな言葉を練習してきたのは今の為だ。結婚おめでとうと言うんだ。)
私は練習してきた言葉を口にしようとした。そして、彼女と目が合った。結婚おめでとうという言葉なんて、私たちはもう言っているも同然だ。がんばって仕事を休んで、海を越えて、知らない国にやってきた。私たちが祝福していることに、当然ながら彼女は気づいていて、感謝してくれている。だから今泣いて別れを惜しんでいる。
結婚おめでとうって、すてきな言葉だ。インドネシアでよく使われるこの言葉は、直訳すると「新生活おめでとう」という意味になるらしい。素敵な言葉だけど、これは、他人がいう言葉じゃない?
私は、彼女の「新しい生活」側の人間だ。送り出す側ではなく、日本で彼女を迎え入れるのだ。そんな新しい家族に、本当に言って欲しいことは何だろう?
勉強してきたわずかな会話文が頭を巡った。
半年後に、独り日本に来る彼女。この旅で直接話をするのはこれで最後だ。
義妹が手を差し出した。握手をしながら何を言うかは決まっていた。
「また会おうね、また会おう!」
彼女は頷いて余計に泣いた。
弟は笑って、言葉が分からない両親は不思議そうな顔をしていた。新しい家族として伝えたいことは、彼女の国の言葉で伝わったのだ。勉強してよかった。
(作文の一部に編集室が文字の修正などをしています)