成果を努力の現れと考えがちな日本人
『がんばる』『がんばれ』という言葉の乱用と、受け取る人によって傷つく人もいることについては前の記事「『がんばれ』という言葉はなぜ人をイラつかせるのか」で解説した。
ではなぜ私たちは『がんばる』『がんばれ』を頻繁に使ってしまうのだろうか。その陰には、日本人特有の努力主義があると、大川先生は指摘する。
「日本人は、成果を努力の現れだと考えます。そのため働き者は努力をしていて、怠け者は努力をしていないと考え、努力しているかしていないかに注目しがちです。
よく『誰でもやればできる』という言葉を聞きませんか。これは『がんばればできる』ということ。この『がんばればできる』発想が日本人には強いのでしょう。しかし他の国では、必ずしもそれが当たり前の考え方ではありません」(大川先生)
その陰にある《能力平等観》が人々を苦しめる
東京大学名誉教授の中根千枝氏によると、「伝統的に日本人は、働き者とかなまけ者というように、個人の努力差には注目するが『誰でもやればできる』という能力平等観が根強く存在する」という(『タテ社会の人間関係 単一社会の理論』)。
日本は、苦労をしてたくさん勉強をする「刻苦勉励型(こっくべんれいがた)」の人が出世するのが常識だ。がんばった成果として出世するということ。それはすなわち、人の能力は生まれつきほとんど変わらない、つまり「能力は平等だ」という考え方だ。その考え方によると、がんばれば誰でも100点が取れることになる。
「日本の教育の建前にこの考え方があります。例えばテストで100点を取った人はたくさん努力をした、がんばった人。50点の人は努力をしていないから。生徒は皆誰もが伸びる可能性があり、変わることができる。能力は生まれつきではなく、努力によって変わるという発想が、戦後日本の教育の建前になっている(苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ――学歴主義と平等神話の戦後史』)のです」
日本人がスポ根大好きなのも
努力を重視するということは、スポーツでは精神力や根性を重視するということ、いわゆる「スポ根」だ。
一方でアメリカを代表とするキリスト教国では《能力不平等観》が主流だという。それを如実にあらわすのが『gift』という単語だ。これは英語で『才能』のことをさす。「才能は天から授かったもの」、だから「人の能力はもともと違っていて当然」という発想だ。
「能力は遺伝や家庭の文化的背景といった『生まれ』によってある程度決まります。家にたくさん本があれば、知識を得る機会は自然と増えるでしょう。生まれつきの能力差が存在すると考える、これが《能力不平等観》です」
日本では、IQ(知能指数)を本人に知らせることはあまりないが、アメリカではかなり重要視されるという。これも《能力不平等観》の現れではないかという。
今は『がんばり』が報われない時代に
しかし努力主義はマイナスばかりではない。『誰でもやればできる』『がんばればできる』といった思考のもと、日本は焦土から復興した。国民全員が『がんばって』復興を目指したのだ。
しかし高度成長を経て豊かになると、がんばらなくても生きていけるようになった。
「豊かになると『がんばり』の圧力が低下し、ラクをしようとする人が出てきます。がんばる人とがんばらない人が出て、不平等も拡大していきました。
そして今日は、『がんばらなきゃならないのに、がんばりきれない』また『がんばりが報われない』時代です。いくら会社の中でがんばろうと給料は上がらないし生活はラクにならない。
現代の課題は、『豊かさ』と『がんばり』をいかに両立させるかです。『がんばり』一辺倒ではもうどうにもなりません。でも『がんばり』を全部捨ててしまったら、私たち日本人はどう生きればよいか迷うでしょう。『豊かだけどがんばる』。それにはどうしたらいいのかを考えることが重要なのです」
大川清丈おおかわ・きよたけ
帝京大学文学部社会学科准教授
1964年東京都生まれ。京都大学文学部哲学科社会学専攻卒業。専攻は比較社会学、歴史社会学。著書に『がんばること/がんばらないことの社会学――努力主義のゆくえ――』(ハーベスト社 2016年)ほか。
◆取材講座:「『がんばる』ことの社会学~努力主義的に見る人生のリノベーション~ 」(帝京大学霞ヶ関キャンパス )
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取材・文・写真/和久井香菜子