─昭和22年の『皇室典範』制定や11宮家の皇籍離脱の背後には何があったのでしょうか。
新しい『皇室典範』制定および11宮家の皇籍離脱の背後にはGHQの皇室改革がありましたが、必ずしも外圧ばかりではなく、内政上の理由もあり、昭和天皇の意思や貞明皇后(ていめいこうごう、大正天皇の皇后)の同意もあったといわれます。
明治維新後、天皇家と宮家は非常に近い関係にあるからこそ、葛藤や確執もありました。また、宮家というのは、権威をもっているからこそ利用されやすい面もある。そのような葛藤・確執は満州事変以後の戦争遂行の局面においてとくに顕在化していったのです。また増えすぎる皇族数の削減は大正時代以来の重要な課題でもありました。11宮家の皇籍離脱の理由を知るには、もっと深い考察が必要だと思います。
小泉純一郎元首相が先鞭をつけた皇室改革
─このたびの眞子さまのご婚約報道で「女性宮家創設」の話題もニュースにのぼっているようですが、この間の皇室問題の流れはどう理解すればよいでしょうか。
小田部:ここ十数年、皇室の存続問題が論議されてきていますが、その発端は、平成13年の愛子内親王誕生にさかのぼります。『皇室典範』第1条では「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と、はっきりと男系男子が継ぐことを記しています。そこで当時の総理大臣であった小泉純一郎は女性天皇を容認する方向での『皇室典範』の改正を進めようとしました。しかし、過去に女性天皇は何人もいるけれども女系天皇(女性天皇の子が天皇になること)はいなかったなどの論議が起こり、論議は紛糾しました。またいっぽう先にあげた皇籍離脱した旧皇族を復活させてはどうかという議論も起こりましたが、平成18年、秋篠宮家に悠仁さまが生まれ、一度この論争は下火になりました。
昨年、天皇が生前退位の意向を示され、平成30年中に退位される可能性が高くなりました。ご公務も新天皇にすべて譲られる意志を明らかにされましたが、ご公務をどのように引き継がれるのか、次の皇太子にどなたがつくのか、皇族全体が減っていくなか皇室活動をどう維持していくのかなどは、答えの出ない問題となっています。そして今回の眞子さまのご婚約報道で、「皇室活動を維持していくためにも女性宮家の創設を」という意見も出てきているのです。
女性宮家をどう考えるか
─「女性宮家」は今までに存在したのでしょうか。
小田部:女性が天皇位についた例は古代の推古天皇から江戸時代の後桜町(ごさくらまち)天皇まで8人10代ありました。女性が当主となった宮家も幕末から明治初期の桂宮(かつらのみや)淑子内親王の例があり、近代になっても男性当主が亡くなって当主となった東伏見宮周子妃殿下などの例がありました。現在でも、三笠宮家や高円宮家は男性当主がおらず、妃殿下が当主となっています。男子不在の問題は、天皇家だけでなく宮家にもあったし、今もあるのです。
ただし、いま議論されている「女性宮家」は、男性当主が亡くなって妃殿下が当主となった形ではなく、はじめから女性皇族が当主として興す新宮家のことを指していると考えられます。宮家については先に述べたような歴史的経緯をわたしたちも理解したうえで、冷静で建設的な議論がなされないといけないと思います。
小田部雄次
おたべ・ゆうじ 静岡福祉大学教授。1952年生れ。近現代の皇室制度・華族制度研究の第一人者。著書に『梨本宮伊都子妃の日記』『ミカドと女官』『家宝の行方』『華族家の女性たち』『李方子』『天皇・皇室を知る辞典』『天皇と宮家』『皇族に嫁いだ女性たち』『昭憲皇太后と貞明皇后』『昭和天皇と弟宮』『日本歴史 私の最新講義 近現代の皇室と皇族』『昭和天皇実録評解』(1,2)『大元帥と皇族軍人』(明治編,大正・昭和編)『49人の皇族軍人』『肖像で見る歴代天皇125代』ほか多数。
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文/まなナビ編集部 写真/SVD