「学びと私」コンテスト 9月はこんな作文が集まりました![6]

9月の一次審査通過作文/「学びと私」作文コンテスト

9月30日が締め切りの第2回「学びと私」作文コンテスト。1次審査を通過して第1回金賞候補作になった作文のうち一部をここで紹介します。

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学びと私コンテスト

9月30日が締め切りの第2回「学びと私」作文コンテスト。1次審査を通過して第1回金賞候補作になった作文のうち一部をここで紹介します。

本を見ながらの手芸

 私の趣味は手芸である。家庭科でスカートの作り方や刺しゅうを習い、若い頃、働いていた時、NHKのテキストを見てはお人形を作ったりしていた。

 今は五十三歳である。手芸の趣味が再開したのは、病気が重く、大阪で保護してもらい、二十年ぐらい通っている、地元の精神科に二ヶ月入院した時だ。作業療法に刺し子があった。平日の午後一時間半が作業療法の時間だった。わたしは毎日それを楽しみにしていた。

 編み物にも興味を持って、通販のカタログを見て、病院に届けてもらったが、わたしには出来なかった。誰にでも出来ると書いてあるのに出来ないとフリーダイヤルで言うと、運良く着払いで返金できた。刺し子は針を使うので、作業療法の時間だけだった。

 退院してからはアマゾンで手芸の雑誌や書籍を購入している。眺めるだけでも楽しいが、実際作るとなるとハードルが高い。

 バッグやポーチを作ってみたが、売り物には出来ない。上手な人は自分で考えてネットで販売していることを知った。そこまでの技術はわたしには無い。ミシンも持っていない。

 フランス刺しゅうも色々な刺し方があることを知った。青木和子さんや斉藤謠子さんの一部の作品が好きだ。青木和子さんのキットで教えてもらわなかったら、リボンでバラの刺しゅうが出来ることも知らなかっただろう。

 額は百均で売っている。有り難いことだ。百円ではわたしには額は作れない。斉藤謠子さんのバッグも、去年の十二月に買ったものが途中で止まっている。難しいのである。いっそのこと捨ててしまおうかと思うが、頑張って仕上げようと思っている。いつ仕上がるかはわからないが。

 実家に同居している母の趣味はレース編みだ。おつかいものに、しているらしい。わたしは、刺しゅうは誰にもあげようとは思わない。手間暇かかっているからだ。飾っておくだけで満足している。

 刺しゅうは奥深い。本の広告でハーダンガー刺しゅうを知った。こんなに芸の細かいことは、わたしには出来ない。繊細な白いコースターの作れるキットが付録に付いている雑誌もあったが、恐れ多く買わなかった。

 雑誌には読者投稿欄がある。応募していたら、粗品が幾つか送られてきた。布や刺しゅう糸などである。難しそうなのでヤフオクで売ろうかとも思ったが、これも頑張って何かを作ろうと思っている。良い楽しみが出来た。

川口聡美さん(53歳)/岡山県

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娘からもらった「ご褒美」シール

 子供の頃、習ったこともないくせに、毎年七夕様の短冊に「ピアノがほしい」と書いていた。今思えば七夕様もさぞかし困惑したお願いだっただろう。七夕様にお詫びしたい。

 七夕様へのお詫びというわけではないけど、大人になった私は、初めてもらったボーナスで、電子ピアノを購入した。といっても、楽器店に足を踏み入れるという事は、とても勇気のいることで、予算的にも気持ち的にも、ホームセンターの片隅に一台だけ展示された電子ピアノを購入するので精いっぱいだった。それでも、ピアノと同じ数の鍵盤が並ぶ電子ピアノを手に入れた喜びはひとしおだった。

電子ピアノを買ったは良いけど、習いに行く勇気を持つのはこれまた難しかった。二十歳そこそこの私は、まだまだ自意識過剰で、いい大人がピアノ教室に入会するなんて、恥ずかしさが先行して、どうしてもできなかったのだ。

 そこでまずは、小学生の頃、学校の休み時間にお友達に教わった曲を弾いてみた。楽譜は読めないし、そもそも持っていないので、記憶の図書館をひっかきまわして思い出す。

 レパートリーは少ないけど、思い出して弾いていくという作業は、まるでパズルをしているような感覚で、ピタっと音がはまると気持ちよく、それだけで満足だった。

 その後、結婚や出産もあって、電子ピアノからも遠ざかっていたのだけど、この春四歳の娘が音楽教室に通うことになり、また私と電子ピアノの距離が縮まった次第だ。

 子どもに保護者が付き添う形でレッスンを受ける教室なのだけど、私は付き添いというより、娘と一緒に学ぶのだという気持ちで参加している。これがまたとても楽しい。私の中の幼いころの「習いたかった」という気持ちが満たされていくような感覚になる。 そんな中、先日書店ですべての音にドレミが書いてある楽譜を発見。これなら何とかなるかも!と思って早速購入し、少しずつ弾いてみている。

 でも弾いてみてわかった。単に書かれたドレミ通りに弾いても、何かがおかしい。それもそのはず。音符には音の長さの違いがあって、テンポだって必要。まだ入り口に立ったばかりだが、どうやら楽譜の世界にもルールがたくさんありそうだ。そしてそれを知りたいという気持ちがむくむく湧いてくる。

 そんな風に、一つ実践することで新たな疑問が生まれて、またそれについて知ろうとする。そうこうするうちに、できるようになりたいという根っこからどんどん枝葉が伸びていき、いつかは木になっていくのだろうな…学ぶってきっとこういうことなのだろうなと、そう思う。

 そんな私に、先日娘が照れながら何か持ってきてくれた。見ると小さな手にキャンディの形のシールが五つも

「お母ちゃん、間違えずに弾けたね。はい、ご褒美シール」

 ご褒美シールは、他者に認められたしるし。それがこんなに嬉しいものだということを幼い娘に教わったわけだ。 きっと私はこの先も、ちゃんと習いに行くでもなく、誰かに披露する機会もないままだろう。でもそんなお気楽な姿勢が、自分には一番合っていると思っているし、それゆえ、ずっと続けられるような気もしている。

もちまるさん(38歳)/石川県

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インドネシア語を勉強する

母を連れてインドネシアに行ったのは去年の11月の事だった。あの時は、出発前にデモで燃えるジャカルタのニュースを見てしまい、不安でいっぱいだった。
バリのングラ・ライ国際空港経由でジョグジャカルタの街に着いた時には、ヘロヘロになっていた私だが、出発前に二言三言覚えていったトラベル用会話に加えて「国内線」「空港」「タクシー」「ありがとうございます」という4語を完璧に発音できるようになっていた。何があったかは何となく察してもらえることと思う。出会った人は皆親切で、根気良い人達だった。ありがとうの発音だけ流暢になる程度には・・・。
バリでのことである。ホテルマンに英語で空港までの交通手段を訪ねた。彼は困ったように笑うだけで、しまいにはカウンターの奥に隠れてしまった。翻訳アプリも旅の会話本も見てくれなかった。

「英語・日本語が通じます。」そんな予約サイトの煽り文句を信じ込んだ私がいけなかったのだ。だが嘆いていてもタクシーは来ない。母は後に下がって居ないフリをしている。私は一旦部屋に戻り、スマホを開いて付け焼き刃のインドネシア単語を練習した。
たった一言で彼は安心したように頷き、頑なに話そうとしなかった英語で丁寧に案内をしてくれた。タクシーを待つ間、彼は私たちの「ありがとう」の発音が正しくなるまで 教えてくれた。彼にとっての空港は英語の「エアポート」じゃなくて母国語の「バンダラ」だったらしい。
弟に会いに来たにも関わらず、この旅で一番印象に残ったのは、この出来事と、彼の表情の変化だった。自分の国の言葉でコミュニケーションを取ろうとする姿勢が相手の心を思った以上に開いてくれるということが、実体験を通して理解できたからだと思う。

人生って色々なことが起こるものだ。
9月上旬、私はまたジョグジャカルタに居た。今回は両親を連れてインドネシアに訪問することになった。というのも弟が現地の女性と結婚することになったからだ。とても良い子だ。私は彼女に結婚おめでとうと言うために、通勤中やジムでのトレーニング中に勉強を続けた。

教会での式も彼女の実家での披露宴も滞り無く進み、全てのお客様と握手をし感謝を伝えた後、一日休んで私たちは帰路についた。
式の前日まで私達のガイド役をしてくれた義妹は、送迎してくれた空港で、私たちと離れたくないと涙を流していた。
(今だ、今。いろんな言葉を練習してきたのは今の為だ。結婚おめでとうと言うんだ。) 私は練習してきた言葉を口にしようとした。そして、彼女と目が合った。結婚おめでとうという言葉なんて、私たちはもう言っているも同然だ。がんばって仕事を休んで、海を越えて、知らない国にやってきた。私たちが祝福していることに、当然ながら彼女は気づいていて、感謝してくれている。だから今泣いて別れを惜しんでいる。 結婚おめでとうって、すてきな言葉だ。インドネシアでよく使われるこの言葉は、直訳すると「新生活おめでとう」という意味になるらしい。素敵な言葉だけど、これは、他人がいう言葉じゃない? 私は、彼女の「新しい生活」側の人間だ。送り出す側ではなく、日本で彼女を迎え入れるのだ。そんな新しい家族に、本当に言って欲しいことは何だろう? 勉強してきたわずかな会話文が頭を巡った。 半年後に、独り日本に来る彼女。この旅で直接話をするのはこれで最後だ。

義妹が手を差し出した。握手をしながら何を言うかは決まっていた。

「また会おうね、また会おう!」

彼女は頷いて余計に泣いた。
弟は笑って、言葉が分からない両親は不思議そうな顔をしていた。新しい家族として伝えたいことは、彼女の国の言葉で伝わったのだ。勉強してよかった。

なしのきさん(27歳)/香川県

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大学生という心躍る学びの黄金時間

 大学の良いところは、知りたい何かを、教授という専門家の下につき研究出来ることだ。大学は、その知りたい何かを持って挑む場所だ。私としても、四年間通うのだし卒業論文も書かないといけないのだろうし、ということで、入学前から学びたいことを決めていた。

 それは哲学である。その中でも、死生観だ。

 結果として大成功だったと思う。哲学や死生観について学ぶことは、もしかすると社会に出て行く上では不要な理論かもしれないが、思想を豊かにし、そして深みのあるものになった。

 哲学を学ぶことはとても楽しかった。元々興味がある学問であったから、研究はさほど苦に思えなかった。横で自身の研究の先行きに頭を抱える同級生が哀れに感じられたぐらいである。

 もちろん最初はコツが掴めず、教授にアドバイスをもらいながら研究を進めていたが、段々と面白みがわかるようになってきた。出発点となる知りたいことを見つけ、まず先行研究を探す。なかなかピンポイントで該当する研究は少なかったのだが、だからこそ役立つ論文を見つけたときの嬉しさといったらなかった。特にCiNiiという素晴らしいサービスを知ったときは、今後の研究の進め方、そして知り得る情報の量を思って、歓喜に顔が無意識に緩むほどであった。

 研究の始めのうちは、これら先行研究や既に出版されたいわゆる解説本を使っており、その程度で手一杯になるほどのキャパシティしかなかったのだが、教授は常々「順調に進めていけば、きっと原著が必要になってくる」と話していた。それが理解できたときの、自身の成長と、更なる学びの充実とが心を満たし、知りたいことを学べるという楽しさが一層可笑しくて堪らなくなったことを覚えている。文献をめくって字を追い、疑問の解決へと繋がるような記述を探し、見つけ、これまで積み重ねた知識と整合し、論を補強することが出来たり知らなかった事実が垣間見えたりしたときの、あのキラリと明るい光が差したような感覚が楽しくてしょうがなかった。よく小さい子供はスポンジのように物事を吸収していくと言うが、そのような感覚に近かった。もちろん最終的な卒業論文を書くこと自体は難しく、構成等に迷って大変な思いをしたものの、インプットしてきた知識を的確に、伝わりやすくアウトプットしていく過程もわくわくしながら行っていた。

 本来の学びとはこういうことを言うのだ。確かに義務教育時代から「数学って面白いな」などと感じることもあった。しかし、大学という場で行う「学び」の質が違いすぎた。自分の興味がある分野をとことん調べられる。学生だから研究にどんなに時間を使おうが何も問題ない。社会人になった今だからこそ、あのときそんな時間の使い方や思考の振り分け方が出来たのだと、意欲があれば「学び」があんなにもキラキラと輝いて、高揚感を覚え、充実したことであると肌身で感じた。

 特に知りたいこともなく大学生をしている子たちを見ると、とてももったいないように思ってしまう。時間がある学生なのだから、過ごし方は人それぞれであると理解できる。しかし専門家について研究できる素晴らしい時期だから、ぜひ存分に活用してほしいと私は考えるのだ。

 実際私は、四年間では足りず少々やり残しを作ってしまったとはいえ、「学び」の楽しさを充分に理解しているし、あの達成感は忘れられない。確実に今の私の基礎を作った「学び」だったと感じている。

小畑まみさん(24歳)/沖縄県

 

(一部の作文に、編集室がタイトルやルビをつけ、文字の訂正などをしています)

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