「学びと私」コンテスト 9月はこんな作文が集まりました![5]

9月の一次審査通過作文/「学びと私」作文コンテスト

9月30日が締め切りの第2回「学びと私」作文コンテスト。1次審査を通過して第2回金賞候補作になった作文のうち一部をここで紹介します。

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学びと私コンテスト

9月30日が締め切りの第2回「学びと私」作文コンテスト。1次審査を通過して第2回金賞候補作になった作文のうち一部をここで紹介します。

「堅苦しい」イメージの脱却

 それは十年来の友人とのお茶の席での話です。身に覚えのある方もいらっしゃるとは思いますが、久しく会っていなかった友人との再会は話に花が咲いてついつい脱線してしまいがちです。例にもれず、私も含め友人三人の話は近況から始まり、次第に学生時代の話へと舵を切りました。

「そういえば、現国で羅生門習ったのは同じクラスの時だったよね。」

「そうそう!それから面白いって話になって芥川龍之介の本をいっしょに読み始めたんだよね。」

 懐かしいなぁ。と学生時代を振り返る二人に合わせて笑っていたものの、私は内心で冷や汗を掻いていました。当時私の友人には小説好きが多く、授業で名作と名高い小説が取り上げられる度、小説談義で盛り上がっていたのです。しかし、私は昔の名作と呼ばれる文学どころか、比較的読みやすいとされている昨今の大衆文学ですら手を伸ばさない、重度の活字アレルギーでした。

 当時、活字が苦手な私は友人にコンプレックスを持っていました。しかし、ちっぽけなプライドが友人に打ち明けることをよしとせず、文学談義の際はそれを悟られないよう繕っていたのです。結局当時の活字に対する苦手意識は治らず、名作文学に触れるという課題に見ない振りを続けていました。そのツケが回ったのでしょう。十年後の会合ですら、私は苛まれる劣等感をひた隠しながら、話を合わせるほかはありませんでした。

 お茶会の解散後、私は帰路につきながら、十年間逃避していた間に増長したコンプレックスを実感しました。そして、ひとつの疑問が浮上したのです。果たしてこのまま、活字に一度も向き合わないのが自分にとって最良なのか。挫折した十年前と今では、感性にも変化があるかもしれない。二十代を迎えた今ならば、私でも文学作品を楽しめるのでは、と思ったのです。

 次の休日、私は図書館に足を運びました。ろくに中を閲覧したことがない私の目の前には、古い物から新しい物まで多数の書籍がズラリ、と整列していました。一種のお上りさん丸出しで恐々中を覗きながら、インターネットで調べた初心者でも入りやすい文学作品を探しました。そして、見慣れない本棚を確認しながらやっと見つけたのが、「江戸川乱歩」の短編集でした。

 とりあえず、十ページずつ読んでみよう。そう決めた私は、その日の晩にまず一話目の「人間椅子」を読み始めました。すると、どうでしょう。驚いたことに、ページをめくる手が止まりません。美人作家に届いた奇妙な原稿から始まる、どこか浮世離れしたホラー。その魅力に憑りつかれた私は十ページどころか、全てのページを一気に読み切ってしまったのです。

 やがて、最後のオチまでを読み切り、はっと我に返りました。ちょっと覗くだけのつもりが、いつの間にか乱歩の魔術にかかってドボンと全身浸かってしまったようでした。アレルギーの元と思っていたものが、こんなに面白いとは、と目から鱗が落ちる心持でした。江戸川乱歩の短編集との出会いは、私の文学への堅苦しいイメージを、極上のエンターテイメントへと変えてくれたのです。

 以来私は、たとえ一ページでも毎日小説を読むようにしています。現在、最も面白く感じたのは「人間椅子」ですが、もしそれを超える驚きが待っているとしたら、読まずにいられましょうか。とりあえず、今度の文学談義には私も参戦できそうだと息を巻いている最中です。

〔鈴掛さん(24歳)/大阪府〕

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学ぶことは、まねをすること

 わたしは二〇〇八年四月から二〇一二年三月にかけて、尚美学園大学芸術情報学部音楽表現学科声楽コースにて学んでいました。山田耕筰さんを始めとした日本歌曲や、シューベルトを始めとしたドイツ歌曲、イタリアを中心としたオペラのなかの歌など、クラッシック音楽中心としたオペラの中の歌など、クラッシック音楽の歌い方を軸として学び、ジャズでよく歌われている歌やミュージカルの歌の歌い方も学びました。一人で歌うことに加え、合唱や舞台朗読法の授業も受けました。

 今から振り返ってみると、大学で声楽(歌うときを中心とした声の出し方)を学んだことは、わたしが幼い頃の原体験が元になっていると考えています。実家(わたしは生まれてから現在までずっと実家暮らしです)の近くにある母方の祖父母の家に行ったとき、幼いわたしは、般若心経を唱える祖父の声を耳にしたのです。その頃のわたしは般若心経どころか仏教のことを何も知らない状態でした。般若心経の内容もわからない状態でありながら、わたしはこのお経を唱える祖父の「声」に興味を持ったのです。わたしは思いました。

「これは歌なのかな?」

 大学を卒業してからも大学院(大学の上級学校)に進学して声楽をさらに深く学びたいと、わたしは思っていました。しかし・・・

「うちの家計からお前たち(わたしと妹のこと)の学費を払えるのは大学卒業まで。大学院の学費まで払うことは出来ない」

わたしはこのように言われたのです。大学院への進学は叶いませんでした。

 大学を卒業してから現在に至るまで、わたしは生活を自分で稼いで成り立たせるということができていません。

「自分が働いて稼いだお金を使って学ぶことこそ本当に自分のためになる」周りの人から言われることの多い言葉です。今もこの言葉が心の中に引っ掛かっています。

 ふと、あるとき、わたしは「学ぶことは、まねをすること」という言葉を思い出したのです。高校生の頃、国語の古典の授業で「まねぶ」という言葉が現在の「学ぶ」という言葉の元になっていることを知りました。妹の

「中学校のとき、吹奏楽部の同学年の男子生徒が、顧問の先生が指揮をしている様子をまねしていた。始めのうちは本人はふざけているようだったけれども、三年生のときの校内合唱コンクールで再優勝指揮者賞を受賞していたよ。」

という言葉や、ある外国の歌手が歌のレッスンを先生と直接対面して受けたことはなく、音源で他の歌手の歌から学び取っていたというお話も思い出しました。

 今では、わたしは(学ぶことはどこでもできる)と考えています。主に図書館の自習室に行って勉強することが多いです。これまでに、通信講座という形で行われている翻訳や(日本語で書かれている仕事上の手紙や電子メール、契約書を英語に訳すというもの)、音声起こし(会議や講演などの話し言葉が録音されている音源を聴き、パソコンを使ってそれを文章にするもの)の訓練を受けてきました。今は校正の通信講座を受講中です。これらの技能をお仕事につなげて生計を立てたいと考えているのですが、前途多難です。

 これからも、わたしは言葉や声のことを学び続けます。

 わたしの人生の中でいつかの時に、人生の後輩にあたる次の世代の人たちに

「学ぶことは、まねをすること」

と伝えていきたいです。

〔鎌田ちひろさん(28歳)/埼玉県〕

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苦手だったパソコンから広がった創作の世界

 幼い頃の私の夢は漫画家になる事でした。

 もし漫画家になれなければ絵にかかわる仕事に就きたいと思っていました。小学校を卒業する時、町内会子供会の送別会があり一人ずつ将来の夢を聞かれ「僕は漫画家になりたいです。」と発表しました。

 その当時、今ほど画材は自由に買えなかったのですが小学校に入学する前から白い紙があれば絵を描いていたような気がします。

 中学生になると墨や霧吹きを使ったり色紙を切って貼り合わせたりいろいろ工夫して作品を創作しました。

 高校を卒業すると諸事情から金融関係の仕事に就きました。この間も絵を描くことは諦めず続けましたがこの頃から切り絵の魅力にもはまり新しいジャンルとして挑戦しました。

 退職間際に一生関わりたくないと思っていた苦手のパソコンを一人一台あてがわれ研修を受けてなんとか日常の業務をこなせるようになりましたがこのパソコンとの出会いが退職後の人生に大きく影響を与えました。

 六十歳で退職し、たまたま見ていたテレビでパソコンを使って絵を描くグループの人達の番組が放映されていましたがその絵の出来栄えに感動し自分でもやってみたいと言う衝動にかられました。

 思い込んだらいてもたってもいられず早速近くの家電量販店でパソコンを購入しソフトを紹介してもらって勉強を始めました。絵を描く機能は比較的簡単に習得出来たので次のステップとしてマニアルを見ながらグラフィックデザインの勉強を独学と言うより自己流と言った方が相応しいくらい見よう見まねで始めました。

 購入したソフトのある機能で何度挑戦してもうまく出来ないトラブルに突き当たり家電量販店のソフトに詳しい人に聞き直接ソフトのメーカーにも照会して説明通り何度かチャレンジしましたがうまくいかず二週間ほど勉強が滞った時は挫折しかけました。

 ところがある日突然、ソフトにミスがあったので新しいソフトでやり直してくださいとメーカーから新しいCDが郵送されてきました。

 結局ソフトのミスと判明したのですがあの苦労した二週間は何だったのかと思うと今でも悔しい思いがあります。

 多くの苦難を乗り越えグラフィックデザインを自己流で習得しコンテストに応募していくつかの賞をいただくまでになりました。

 デザインの受賞にはさらに創作意欲をかきたてられジャンルを広げてデジタルカメラの画像処理、切り絵と和紙をスキャナーで読み込んでパソコンで処理しデジタル作品といえども和紙の趣を感じる作品を創作するなどの工夫を重ねました。

 大阪で開催された写真のコンテストの表彰式では娘の家族が駆けつけて表彰を祝ってくれ、娘夫婦からも私の努力に対して表彰状を授与してくれてこれほど嬉しかった事はありませんでした。この時は恥ずかしながら男泣きをしてしまいました。

 今ではジャンルを広げ、キャッチコピー、川柳、短歌、絵手紙、作詩などで入賞を果たし一層創作意欲をかきたてられているところです。

 これからも日々前向きに努力し自分の新しい面を発見しながら挑戦していきます。

〔森田 章さん(73歳)/埼玉県〕

 

(一部の作文に、編集室がタイトルやルビをつけ、文字の訂正などをしています)

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8月(第1回)の金賞3本が決定しました

 

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