「学びと私」コンテスト 9月はこんな作文が集まりました![2]

9月の一次審査通過作文/「学びと私」作文コンテスト

9月30日が締め切りの第2回「学びと私」作文コンテスト。1次審査を通過して第2回金賞候補作になった作文のうち一部をここで紹介します。

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学びと私コンテスト

9月30日が締め切りの第2回「学びと私」作文コンテスト。1次審査を通過して第2回金賞候補作になった作文のうち一部をここで紹介します。

苦手だったはずの運動と読書に目覚めて

 小学生の頃から図画工作と理科実験の類には無類の関心を持ったが、そのほかのことにはからきし興味がなかった。概して勉強は嫌いで運動も苦手だった。字を書かせれば乱雑。計算をさせれば間違う。ほとんど読書をしたこともない。そんな子供の姿を見て両親は将来を案じていた。しかし、その後計算機が普及し、文書はワープロソフトで書くのが一般的となったおかげで、計算ミスも究極の癖字も咎められることが無くなり助かった。

 とはいえ人生は甘くない。情報機器では克服できない課題がふたつ残った。ひとつは五十歳代に差し掛かった頃の健康診断で運動不足、生活習慣病の予備軍と指摘されたことである。渋々、皇居一周のウォーキングを始めてみた。ところが意外にもこれがことのほか面白くなった。タイムを縮める喜びを知っていつしか走り出し、もはやハーフマラソンを、そしてその先のフルマラソンを狙うジョガーと化した。

 もうひとつの試練はこの先の社会がどうなっていくかについて考えてみたくなったことが契機だ。孫の顔を見たせいかも知れない。というのも先般発表された平均寿命を見る限り昨年日本で生まれた子供は22世紀まで生きる可能性が高いのだ。人生の長さなど気にならない若い頃と違って、次の世代がどんな時代を生きていくのかに興味を持った。

 ところが考えてみたところでなにもわからないのだ。自分のなかには考える土台がないことに改めて気がつき愕然とした。後悔しても仕方ないが、これまでずっと社会・政治・経済のことは聞きかじり程度の知識で誤魔化してきたのだから無理もない。とりあえず本でも読んでみようと思い立ったのだが、人文系、社会科学系の学問とはほぼ無縁で生きてきたため、当初は何を読めばいいか全くわからず、何となく手にした本も苦痛を感じながら字面を追うのがやっとだった。それでも何冊か読んでいくうちに頭のなかで文脈が繋がっていった。視界が開けたような気がしてからは止まらなくなった。

 そもそも国とは、社会とは、文化とは。歴史とは、宗教とは、資本主義とは、民主主義とは、自由とは。アメリカ、ヨーロッパ、アジア、そして日本とは日本人とは。人口知能、脳科学、再生医療、科学の将来といった問いが頭のなかを駆け巡っていく。その度に書店に駆け込んでは買いだめする。しかし、読めば読むほど知りたいことは増えていき、一向に収束しない。掘り下げていくとまた底が抜ける。いまは年に100冊程度は読むが、もっと時間と体力があればと願う。満員電車も貴重な読書タイムであるが、降車駅を乗り過ごしてしまうのは要注意である。

 いま大それた、しかし密かな夢がある。日本の将来、そこで暮らす人のために有益な、なにか小さなアドバイスめいたものをまとめたいと思う。

 苦手としてきた運動と読書。六十歳を前にしてそれにはまってしまったようだ。けれども人生をトータルで平均すれば、人は幸せな時間と苦労する時間、勉強する時間と遊ぶ時間の比率は同じようなものではないか。であるとすれば、これまでの自分の学習時間はどう贔屓目に計算しても、到底、世の平均には及んでいないということは自信がある。運動の面白さ と読書の充実感を感じることができる今があるのは、運動不足と不勉強のままこの歳まできたことの裏返しであると苦笑と感謝(?)しつつ、この走りと学びは続くのだ。

〔パパパパさん(57歳)/神奈川県〕

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毎日が発見の連続です

突然専業主婦になってしまった私。同時に手にした「ママ」の肩書。これまでは仕事一筋、趣味は仕事の人生だった。赤ちゃんとの生活は最初こそ新鮮であったが、3ヶ月を過ぎた頃から退屈で仕方なかった。話し相手は旦那だけ、特に変わったこともない平凡な日々。笑顔が消えていった。しかし、これでは子どもに申し訳ないと思っていた矢先、テレビでこんな一幕があった。「平凡な毎日に退屈な人は毎日3つ発見を書くと良い」と。聞いた時はどう良いのか全く分からなかったが、一念発起し外に出てみた。

最初の発見は近所だった。「おい、のりこ、早くしろ、のりこ」大きな男性の声が響く。そして顔を出したのは、なんとお世辞にも可愛いと言えないブルドック。私は唖然とした。そして数ヵ月ぶりに爆笑した。その日は早速手帳にしたためた。そして生活は一変した。毎日気づかなかった発見が此処彼処にあるではないか。主人の口癖、空の色、若者の恋愛。もう面白くて仕方ない。そんな生活も数ヵ月を過ぎた頃には板につき、主人は私にずっとそのままでいいと言ってくれた。

私にとって毎日発見することが学びのチャンスになり、私なりに輝きを放つことができるようになったと思う。好きな言葉に人生一度きり、今日という日も一度きりというのがある。これからも発見業務を日々怠らぬように目と心を光らせていきたいと思う。

〔こまっちょさん(33歳)/東京都〕

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亡き恩師と二人三脚で書道検定に合格

 私がお習字教室に通い始めたのは三歳頃だった。熊本の小さな町の小さな書道教室。先生は若い女の先生だったが、とても厳しかった。やんちゃな男子生徒を追いかけまわしては怒鳴り散らしていた。しかし、私はなぜかやめたいと思ったことは一度もない。周りの生徒が怒られている様子もまた面白く、思い出は尽きない。十七歳まで先生のもとに通った。

 大学進学で地元を離れることになった私は、十八歳で書道教室をやめ、先生との繋がりは年賀状だけになっていった。その後、就職や結婚で地元へ帰ることも減り、年賀状でのやり取りも途絶えがちになっていた頃。私は先生の訃報を知ることとなった。

 あれから何年が過ぎただろう。ふと思い立って筆をとった。実家の押入れを探してみると、むかし先生に書いてもらったお手本も出てきた。先生の字は、私よりも若かった頃のものなのだが、そうは思えないほどに美しかった。私も頑張ればいつかこんな風に書けるようになるだろうか。私は独学で書道検定にチャレンジすることにした。

 独学にこだわったのには理由がある。実は高校のとき、私はこの検定で途中まで合格していた。しかし最高位だけはどうしても受からなかったのだ。今ここで新しい先生についてサッサと合格したら、亡くなった先生は浮かばれないような気がした。今思えば、小さなこだわりなのだが、どうしても亡き先生と二人三脚で合格したかったのだ。  古い教科書を引っ張り出し、古いお手本を見ながら、必死に勉強した。不思議なことに、怒られた字も褒められた字もよく覚えていた。小学三年生のとき「さんずいへんの角度が悪い」と注意されたこと。中学二年生のとき「仮名の臨書はうまい」と褒められたこと。全てが私の糧となっていた。三歳から習っていたのだから、私の字は先生が作ったと言っても過言ではない。それから五年。私はようやく最高位に合格した。

 今は、これから先どうしようかと考えている。先生のように書道教室を開くことも可能なのだろうが、個人的にはまだ無理だと思っている。人に教えるよりも、まだまだ学びたいことの方が多い。新しい先生のもとで新しい字を学んでみたいとも思う。子どもの頃どんなに真似しても大人の字は書けなかった。やはりいろんな人生経験を経て、字は変わってくるのだ。今後、五十代、六十代になると私の字はどう変わっていくのだろうか。亡き先生に見せても恥ずかしくない成長をしなくてはならない。ワクワクした気持ちで、これからも書き続けていきたいと思う。

〔こっちさん(41歳)/東京都〕

 

9月分(第2回)の金賞発表は10月下旬を予定しています!

 

(一部の作文に、編集室がタイトルやルビをつけ、文字の訂正などをしています)

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