「学びと私」コンテスト 11月はこんな作文が集まっています![4]

11月の一次審査通過作文/「学びと私」作文コンテスト

11月30日が締め切りの第4回「学びと私」作文コンテスト。1次審査を通過して第4回金賞候補作になった作文のうち一部をここで紹介します。

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学びと私コンテスト

11月30日が締め切りの第4回「学びと私」作文コンテスト。1次審査を通過して第4回金賞候補作になった作文のうち一部をここで紹介します。

学ぶこと仕事をすることの楽しさ

 昨年、外の世界を見たくて工業高校卒業後、46年間勤めた会社を中途退職した。上司、同僚から慰留もあったが、会社によって敷かれたレールを離れ自力で歩いてみたかった。
  そして、出来れば会社で決まった序列を世間の評価で変えたいと思った。今から思うと自信過剰だったかもしれない。前職で社内Web(イントラネット)の企画、立ち上げ、運用を行い社外から高い評価を受け、この関連で“ネットビジネス”に挑戦したいと漠然と思っていた。中途退職で自分を死地に追い込むことによって覚悟を示し、火事場の馬鹿力に期待した。

 まず、技術を磨くためハローワークの紹介で、無料の講習を受講することにした。3回不合格になり諦めかけた4回目の受験で合格し、“実践Web作成と運用”という5ヶ月のコースを受講出来た。
 そして私の学び直しが始まった。20~30歳代の若者に交じって、手のこむら返りに耐えながらホームページ作成、イラストレータ、フォトショップ等の最新技術を、日曜日を除きパソコンに一日、13時間以上向かい必死に学んだ。講師の指導が良く技術は格段に向上し、見栄えのするホームページ作成、ポスターデザイン、写真とデザインの融合等も出来るようになった。

 しかし、高齢と美的センスに劣るとの企業の厳しい評価で、再就職は難しかった。『俺は腐ったリンゴか』との思いを持った。仕方なくネット経由で仕事を始めたが、徹夜で頑張っても月2万円稼ぐのがやっとで気力を失い挫折、2カ月間ゴロゴロと過ごした。妻と一日中顔を突き合わせていると息が詰まりそうで、邪魔者扱いされ妻の表情も暗くなった。
 マイペースで生活していると体力が落ち、6カ月前に自転車で登れた坂が登れなくなり体力の衰えを自覚した。この出来事が私の背中を押しシルバー人材センターに登録した。

 直ぐに再就職が決まった。管理職だった私が、今は自分の身体と手を動かして仕事をしている。相手は親切な客、高圧的な客、不機嫌な客と様々。自分を鏡で見ているようで勉強になる。
 自分が思っている半分も仕事が出来ないし、処理能力も低く入力の桁間違い、FAXの誤送信など、自分でも想像出来ない失敗をする。自分が情けなくて何回か涙も流した。失敗を取り戻すために創意工夫もするが、また失敗する。前職の私なら、失敗した部下に理由を十分に聞かずに怒鳴り散らしていた。まさにパワハラそのものだった。ここでも私の人生の学び直しが始まった。

 今の職場は間違った時にも年下の先輩が優しく指導してくれる。そして、私も素直に聞くことが出来るようになった。これがもう少し早く出来ていたらと思うが後の祭りだ。この優しさがあれば、違った人生があった。
 そして、就職1カ月でようやく、「ありがとうございます。行ってらっしゃい」とお客様に声が出るようになった。まだ機械的に声を出していて心の底から出ていない。伝票と売上が合っているか、手作業で確認する。数万の売上でも合えば嬉しく満足感がある。 さまざまな失敗と経験を重ねながら成長しているのが自覚できる。それでも、“ネットビジネス”をするとの初心は忘れておらず、独学でデザインを学び再起を期したいと思っている。今回の学び直しと再就職を“ネットビジネス”に活かしたい。
このように紆余曲折があったが、学ぶことと働くことの難しさと楽しさを知った1年だった。

おりた はじめさん(67歳)/兵庫県

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フルートと私

 20年程前、たまたま聴いていたラジオのフルートの音色に魅了された。元々クラシック音楽好きではあったが、小学生の頃ピアノに挫折して、その苦い経験のせいか楽器から遠ざかっていた。そんな私の心をとらえたのは、心に沁みわたるようなフルートの音…自分もあんな音を出してみたいと思った。そんな時、偶然に新聞に折り込まれてきた「40歳からのフルート」のチラシに目が留まった。年齢的にも丁度良いと思い、早速入会してグループで習い始めた。
 音を出すまでが大変だと聞いていたが、不思議なことに難なく音は出た。音出しに悪戦苦闘している仲間の様子を見て、自分はフルートに向いているのではないかと、内心密かに喜んだ。易しい曲もすぐに吹くことができた。ピアノと比較すると、単旋律なので最初はやり易いのだろう。当時はフルタイムで勤務しており、練習時間が充分に取れなかったが、細々とレッスンには通い続けた。しかし定年退職する数年前からは、国内・海外出張も多くなり、定期的にレッスンに通うことは困難になり、心の余裕もなくなり、レッスンをやめてしまった。それ以後はケースにしまったまま、フルートを取り出すこともなかった。
 そして3年前に定年退職して、非常勤になったのを機会に、早速フルートレッスンを再開した。久しぶりに手にしたフルートは、妙に重く感じられた。しかし息を吹き込んでみると、以前と同様に楽器が鳴ってくれた。角度が少しでも異なると、楽器がまるで嫌がっているように、詰まったような音になってしまい、音が遠くに伸びて行かない。どんな角度で、どんな強さで自分の息を楽器に吹き込むのか、その加減が微妙である。楽器と対話しながら、楽器が喜んで鳴ってくれるように息を吹き込むわけだ。その時の自分の心の状態も音に表われてくるような気がする。語りかけるように息を吹き込み、指も動かす。息と指のタイミングをしっかり合わせることも重要なポイントだ。しばらく試行錯誤するうちに、以前の感覚を取り戻すことができた。
 習い始めて数年の頃に取り組んだ曲を、再度練習している。あの頃よく回らなかった指も、丁寧にゆっくりと何度も練習することにより、少しずつできるようになってくる。その進歩を実感できることも嬉しい。また、深い呼吸を使うせいか、練習開始時の軽い頭痛が、練習終了後にはすっかり治っていることに気づくこともある。また、指を早く動かすことは、きっと脳の老化防止にも良いに違いない。
 また、現在の職場の文化祭で、ピアノ、バイオリンを演奏する同僚と私のフルートで三重奏を発表する機会も与えられた。他の楽器の音によく耳を傾け、その演奏者の息遣いをしっかり聴いて合わせることの難しさを痛感した。しかし、3人の呼吸、気持ちをぴったり合わせて演奏できた時の達成感、大きな喜びを味わうこともできた。
 仕事第一で、これまで夢中で過ごしてきた。数年間の中断後に、フルートレッスンを再開することができた。時間的な余裕、精神的な余裕が生まれた現在、レッスンの内容をじっくり復習し、曲についても複数の演奏を聴いて、自分の理想に近いものを探すことができる。アンサンブルも経験して、人と合わせ、一緒に曲を作り上げることの楽しさを初めて知った。このように新たな気持ちで、フルートを学び直せることを嬉しく思う。
 健康維持のため、老化防止のため、そして何よりも、自分の楽しみのために、今後も90歳を目標に、フルートの練習を続けていきたいと思っている。

菊池浩美さん(68歳)/東京都

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84歳で連句に挑戦

 昭和7年生まれの私には、子供の頃から俳句や短歌への親しみがあった。母や兄は俳句を嗜んだし、正月に親戚が集まると百人一首のカルタ会をやろうという話になった。また、庭の牡丹の花を短歌に詠んで見せ合っていた両親を誇りに思うことがあった。私自身も現役時代に地方工場へ単身赴任をした時、無聊(ぶりょう)を慰める一手段として、ノートと鉛筆さえあればできる短歌を始めたものだった。そのような私でも、60余年前の学生時代に読んだ寺田寅彦の『連句雑俎』で連句の奥深さに魅せられたものの、煩雑に見えたルールに恐れをなして敬して遠ざけていたところ、平成28年秋に、私の住む町で「連句フェスティバル」が催され、俳人、詩人、国文学者に一般参加者も加わっての連句の集いに参加した。予想以上の面白さに惹きつけられ、早速連句の会二つに参加、更に連句を詠むには俳句を学ばねばと俳句の会にも入って、八十路の暮年は一気に忙しくなった。
 連句で戸惑ったのは雑(ぞう)と呼ばれる無季の句で、歳時記を手元に置き調べながら詠まないと、すぐ有季の句になってしまう。ブランコ、それは春の季語です、ラグビー、それは冬ですということになる。また、花の座、月の座にも慣れるまでは戸惑うし、恋の句に至っては、恋の呼び出しから恋の句、そして恋離れまでをこなすのは、ベテランでも容易ではないように見られた。
 連句を始めてから1年経った頃、捌き(連句の座で進行を捌く宗匠の役)になることを望まれ、何事も経験と捌きになったはいいが、5人の連衆(メンバーのこと)に過不足なく参加してもらうことに腐心した。連句二十韻を詠むのに3時間、知的バトルに冷や汗を流したものの後味はこころよかった
 俳句や短歌と違って、連句は共同作業であるだけに、予想もつかぬ展開になり、それが連句の魅力ではあるまいか。84歳という年齢から、新しいことに挑むことにためらいがあったが、今では始めて良かったと思っている。同好の仲間との語らい、創造の喜び、更に作品を妻子や孫に見せることが今では生き甲斐の一つになっている。
 定年後20余年が経ち、エンジニアだった私の本棚には技術書に替わって短歌・俳句・連句の本が並ぶようになった。人生90年あるいは100年時代を、健康で且つ生き甲斐を以て生きるには、アンテナを高く張り、興味のあることには貪婪に挑むことが良いのだろうと、年寄りの冷や水とからかわれるのは承知でエッセイに纏めてみた。

雀部信夫さん(84歳)/東京都

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何度でも何度でも

14年事務の仕事していた会社が、急に閉鎖される事になった。特に数か月前から、何となくヤバいかもという予兆はあった気がする。でも『あと何年かは、ここで勤める事できるんだろ』と、ほんのり希望もちつつ過ごしていた。
実際、14年勤めた事務のお仕事を、今の年齢で、新天地を見つけるのは厳しいかなとも思っていたから。でも、あっけなく、私の会社勤めが終了した。
今まで、会社勤めと並行して、企業のコラムや県広報のライターなど文章を書く仕事も10年以上続けていた。文章を書く仕事の収入は不定期な為、会社勤めがメインとなっていた。
『また、一から始めなきゃ』『切替えて、先に進まなきゃ』と思うけど、
『これから、どう進めていこうか』『学び直そうか』と、私の頭の中は、かなりテンぱっていて、もがいていたと思う。
ある日、リビングを掃除していた時、かやの木の将棋盤が目に入った。そして、ふと浮かんだ場面があった。
私の息子達は、小学生の頃からアマチュアで将棋を指している。長男クンが高校生の時、高校将棋の全国大会の県代表となった。全国大会後、彼を駅まで迎えに行った車の中。彼が決勝トーナメント・ベスト8かかった対局の相手が高校全国一2連覇かかった相手だったと聞いた。
『う~ん、対戦者がね・・残念だったね。』
と私が言うと、
『でも、なかなか指せない相手なんだよ。胸を借りるつもりで指したんだ。』
負けた対局で、それも人一倍負けず嫌いな長男クンのその言葉を聞いて私は、びっくりした。
将棋の対局で、負けて悔しくて、1時間半電車・地下鉄の中、帰り道で泣いていた彼が、きっと悔しさもあるけれど『胸を借りるつもりで』そう言った事。そんな場面が、何年か経って、私の頭に浮かんできたのだ。
私自身、だんだんと、年齢を重ねてくると、新しい事や変化し続ける事に対し煩わしくなったり、体力的に『ついていけないわ~』と逃げてしまう傾向は否めない。
難しい事から逃げている事も十分認識しているけど、あと半歩が出ない。じゃあ、私はどうするのかと考えたら『胸を借りるつもりで』挑戦してみた。約1年、好きなイラストやエッセイなど、色々応募した。論評されない事も多々あったけど。時々『こういう表現もあるかも』とか『場面がよく描かれてる』と論評される機会があった。色々応募して、論評して頂くうちに、何となく自分のやっていく方向とか、こういう感じが自分が向いているんでは?というヒントのようなものが、見えてきたように思う。
もちろん、応募先等の求めているものに当てはまるかどうかは大切だと思う。
ただ『胸を借りるつもりで』応募して論評して頂けた時、自分では判らなかったポイントやクセが分かった事は、大切な私の学びの再出発だと思う。

うすた~さん(52歳)/岐阜県

(一部の作文に、編集室が文字の訂正などをしています)

過去の「学びと私」コンテストの金賞作品はこちらから
10月(第3回)の金賞3本が決定しました
9月(第2回)の金賞3本が決定しました
8月(第1回)の金賞3本が決定しました

 

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