「学びと私」コンテスト 11月はこんな作文が集まっています![2]

11月の一次審査通過作文/「学びと私」作文コンテスト

11月30日が締め切りの第4回「学びと私」作文コンテスト。1次審査を通過して第4回金賞候補作になった作文のうち一部をここで紹介します。

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学びと私コンテスト

11月30日が締め切りの第4回「学びと私」作文コンテスト。1次審査を通過して第4回金賞候補作になった作文のうち一部をここで紹介します。

ラジオ講座での学び

 わたくしは、定年退職後生涯学習をモットーにいろんな学びを行っているが、学びなおしということに意義を感じたのは、ある日ふっとNHKの高校通信講座社会政治経済を聞いたところ、非常にわかりやすく、説明されて、聞き入ってしまい、20分がアッという間に過ぎたのである。その後も、国語についても非常に筋道を立ててわかりやすく説明されていた。この2教科はラジオで学習するのが楽しみとなった。  なぜ高校通信講座が、昔の我々が50年以上前に学習した時よりも、魅力的なのか考えてみると、一つは、公共放送なので洗練されたプロ中のプロの講師が時間内に要領よく教えていることであり、もう一つは、聞き手の我々が、その当時より社会に出ていろんなことを経験し、聞き方も向上しているからだと思った。他の科目も行っているが、非日常的なので現在は聞いていない。
 社会は時代の流れや、生活の変化もあり、この講座でもう一度学びなおすことは行くに立つと感じた。この社会は幅広く倫理もあり、聞いてみると、仏教の問題も取り上げられ、高齢者にとって、死というものの考え方も興味がありまた、役立つと感じた。  国語については、いくつかの論点ごとに整理方法や、何が問題なのか、どのように考えたらよいのかを適格に教えてくれるので、我々高齢者にとっても、読書や文書作成に役立つと思った。パソコン教室でも、町内会の役員になると、文書作成があるので、役立つようにと教わったが、高齢になっても、いろんなことがあるが、文章は欠かせないので、この講座を生活にも生かしたいと思った。
 学ぶということは生活のためだけではなく、そこから学ぶことを発展させていく面白さがある。知らないことを知る喜び、それを友人などに伝える。さらにそこからまた違った考え方の情報を得ることが出来る。このように、インプトとアウトプットの両面があるとさらに面白いのである。
 このインプットは聞いたり、読んだりであると考えられる。この中でも、読むより聞く方が頭に残り、また、楽しいものと感じている。したがって、講演会、セミナーには積極的に参加するようにしている。このことは、自分の興味になることに対してや、以前に学んだが、もっと深く知りたいのであるから学びなおしになると思う。このように学び直しはさらに発展的な学習につながると思う。
 また、アウトプットは、学んだことを、人に話したり、伝えたりすること、さらに、文書にして誰かに渡すことであるが、広義には、書くということだけで、アウトプットになるという人もいる。
 わたくしは、定年退職後、多くの論文や、エッセイ等に応募しているが、このことにより、インプットしたものをアウトプットできる良い機会と思っている。ここでは、どれだけの情報を持っているかが問われることになり、その大切さを知ることもできる。学び直しの大切さも実感した。

ウミヤマさん(70歳)/滋賀県

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お母さん

『パソコンの前でお母さんずっといるけど何をしているの。』と3人の子供達が入れ替わり立ち代わり私に聞いてくる。『小説やエッセイ、作文応募にチャレンジしたいから書き方や漢字を勉強しているんだよ。まあ見てて。お母さんでもやればできる!という所をみせてあげるから。』と言ったら子供達はクスクスと笑っていた。
 そもそも私がこのように学び始めたのも、次男の夏休みの宿題で親子読書感想文があったからだ。久しぶりに本を手に取り、子供と一緒な本を読み感想文を書いたことが始まりだ。子供と一緒な本を読むひと時に、癒しと感動と懐かしさを覚えたのだ。
 読書感想文を書いたのは、小学6年生以来だった。漢字も曖昧で、文の構成、書き方もさっぱりだった。まず、図書館に足を運び、読書感想文に書き方の本を借りてきてひたすら読み返す。まずは、下書きだと思い、原稿用紙を購入。原稿用紙などこの歳になって購入するとは夢にも思わなかった。原稿用紙を目の前にすると、なんとなく昔の記憶が蘇ってくる。鉛筆を走らせているうちに、なんだかとても楽しくなり、にやけた顔で感想文を書いている自分に気付いた。
 『やったー。』書き終えた時のこの何とも言えない達成感は言葉ではなかなか言い表せない。『私だってまんざらじゃないわね。国語の評定は2だったが、私もやればできるかもしれない。』とひそかな期待が芽生えるのであった。子供達は『適当に書いただけじゃダメだよ。』と半分笑っていたが、『内容も重視だけど、このお母さんが感想文を書くために学んだことの方がすごいことだとお母さんは、自分で自画自賛するわ。』と私は言いきった。
 それからというものの、水を得た魚のように勉学に励むようになった。この頃は、机の前に座らないと気持ち悪いと思うようになった。わからないことがわかるようになる。時間がかかっても、調べたり考えたり、論議したりして答えに近づけることがこんなにも楽しい事とは知らなかった。私の真っ白い頭のノートが日々埋め尽くされる。
 学ぶとは、自分を知る、向き合ういい機会なのかもしれない。私は、読書感想文を通し、自分が何も知らない、何も出来ないことに気付いた。今まで何をしていたのだろう。とふと考え込んでしまった。学ばなかったのではなく、学び続けなかったからかもしれない。怠けていたのか、自分には必要ないものときめつけていたのか。何とかなると思っていたからであろうか。今となって過ぎた日のことだ。
人間はいつでも気付いた時に学び直せばいいのだ。生きている限り学び直すことが出来るのだ。何にも恥ずかしい事などない。素晴らしいことだ。その時は、今までに味わったことのない未知の楽しさ、気づく楽しさの力がみなぎるはずだ。

ノアさん(43歳)/香川県

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さぁ、2回戦

たった6年で保育士を辞めたのは本当に不本意だった。でも、頑張りすぎて心身のバランスを崩したのは誰のせいでもない、自分。結婚して普通の主婦になった時、“ゆっくり自分の子育てができる。辞めてよかったんだ”と自分に言い聞かせた。不器用なくせに完璧主義な私が、保育の仕事と両立できるはずがないと。
 二人目を産んだ後、私は飲食店でパートを始めた。特技も何も活かせないが、残業も、仕事を持ち帰ることもない。
“母親が本業だもの、やりがいなんてなくていい”そう思っていた。  上の娘が小学生になった時、学校で絵本の読み聞かせボランティアを募集していた。これくらいなら、と仲間に入れてもらい、さっそく娘のクラスで読ませてもらった。
「おはようございます」 何年かぶりに見る、たくさんの子ども達の澄んだ瞳。私が持っていった絵本をニコニコしながら見てくれた。読み終えた時、一人の男の子が走ってきた。
「先生!」
「えっ?」
「先生、それ図書室にある?本屋さん?」
久しぶりに先生と呼ばれてドキッとした。子どもにとって、教室で目の前に立つ人は、『先生』なのだ。“ただのボランティアのおばさん”そんな軽い気持ちで生徒の前に立ってはいけないと思った。
 私は絵本について真剣に研究しようと思った。忙しい毎日でも、人気の絵本や作家について、スマホひとつで調べることができる。
“現役の頃はネットなんて使えなかったもんなぁ”
手軽に学べる楽しさと、13年の時の流れを感じた。読み聞かせボランティア研修会にも参加し、私はすっかり保育の世界に引き戻された。また現場に復帰したいという思いが、強くなってきた。
 色んな本を手にしながら、ある資格が目にとまった。『チャイルドコーチングアドバイザー』。子どもの個性ややる気を引き出す、心に寄り添うための専門知識。私は迷わず申し込んだ。
 テキストを読むと、ついやりがちな間違った援助や対応例があり、まさに子育て中の私は大きく頷けることばかりだった。独身の頃なら想像で終わっていたことが、今は手に取るようにわかる。木で例えると、幹の太い木は、その枝に安心して何個も果実を実らせることができる。ひょろひょろで安定感のない枝ばかりだった若い頃に比べ、実もつけやすくなったのだろう。
 歌や人形劇、手品、これからわが子を相手に練習しよう。そう思っただけでワクワクしてきた。保育士としての私、1回戦はボロ負けだったけれど、今度は粘って戦えそうな気がする。

紗菜さん(39歳)/岩手県

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私の小さな『先生たち』

 「ドキドキ」「ワクワク」「ハラハラ」子どもの頃に感じていたこの感情。様々なことに期待を抱き、興味を持ち、目を輝かせて突っ走っていけた。大人になってから、社会人として働き始めてから、この感情と無縁になったような気がする。攻めより守りに入り、何かの上に座り込んでいる自分がいることに、幸いにも気づくことができた。
 保育士の私は、保育園で、多くの子どもたちと接している。子どもたちから「せんせー」と呼ばれ、保護者からも「先生」と話しかけられ、プライベートで偶然出会った時も「先生!」と声をかけられる。この名称は、私にとって不自然に覚えてならない。むず痒くさえ感じる。それは、まったくの逆で、ひとりの保育士として、ひとりの人間として、子どもたちから多くのことを学び、教えてもらっているのは、他ならぬ私自身であり、子どもたちこそ、私の「せんせい」なのである。年齢を重ねるにつれて、忘れていき、埋もれてしまう大切なことを、自然と、惜しみなく提供してくれる、かけがえのない「せんせい」なのである。
 しかし、子どもたちこそが「せんせい」との考えは、しばしば麻痺してしまいがちであり、私は、「先生」という台の上に深々と座してしまう弱い存在である。その麻痺を解消し、学ぶ姿勢を忘れず、子どもたちから楽しく学びつつ、子どもたちと一緒に成長し続けたい!との願いから、最近、書道教室に通い始めた。
 「ここのはらい、いいね。」「字の形、よくなってきたよ。」赤い墨で丸を貰う度に「ドキドキ」して嬉しくなる。「縦の線は、体で引いてみよう。」と書道教室の『先生』と一緒に筆を持つと、筆の動きの感覚が筆を通して伝わってくる。できなかったことができるようになると、「ワクワク」して、また頑張ろうと思える。できないことを克服しようとして半紙に向かう時、「ハラハラ」しながらも深呼吸をして落ち着かせようとする。これこれ!と再確認できる瞬間だ。この「ドキドキ」「ワクワク」「ハラハラ」…。これこそ、子どもたちと一緒に体験したい瞬間!生涯味わいたい感覚!楽しくて仕方がない。学ぶことの楽しさは、まさに、この「ドキドキ」「ワクワク」「ハラハラ」にあるのではないだろうか…と思えるほど、私の背中を押してくれる感覚だ。
 平日の仕事帰りに通う書道教室。毎日「先生」と呼ばれても、教えてもらう感覚、学ぶ感覚、さらに心を弾ませてくれる楽しい感覚を養いに、これからも通い続けたい。そして、その感覚を抱いて、私の小さな「せんせいたち」から、大きな学びをし続けたい。そう願わずにはいられない。学び直し…私にとってそれは、子どもの頃に抱いていた感覚を取り戻すことなのかもしれない。

JUKeKUJさん(31歳)/埼玉県

 

(一部の作文に、編集室が文字の訂正などをしています)

第4回「学びと私」コンテスト1次審査通過作文をチェック!
11月はこんな作文が集まっています![1]

過去の「学びと私」コンテストの金賞作品はこちらから
9月(第2回)の金賞3本が決定しました
8月(第1回)の金賞3本が決定しました

 

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