いきがい大学熊谷校二年制に入学した。ふるさと伝承科、福祉科、美術工芸科の三学科で100名弱の生徒が集まった。入学直後のガイダンスで一通りの指示説明があり、われわれ年配者も若者に戻って大学生活を夢見ていた。その最後に若い事務局職員が、凄いことを言った。それは「皆さんは老年の時期に入り将来お亡くなりになります。学生生活が軌道に乗り、仲良くなり、親しい仲間も大勢出来るでしょう。その中でなくなると、付き合いで香典を出すと思いますが、長命になると仲間が先にお亡くなりになる度に香典をだし、ご本人がお亡くなりになるときは誰も香典を持ってくる人がいない場合も充分ありうると思います」と言って笑いを取った。おそらく過去の入学の時も同じような冗談を話していると思う。
翌日から授業が始まり、徐々に自己紹介やクラブ活動を通じて仲間が出来出してきた。その交際が楽しいから、先の事務局員の冗談は忘れ、授業やクラブ活動で取り組む業務や役員や交友会長の選挙、学園祭の役員の指名等で忙殺され出した。また、授業で週二回皆に会うのが楽しい。講義も学術専門的なものでないから予習もせずに教室に入れるし、要するに緊張しない。授業内容は地元の武将熊谷次郎直美についての講義、地元大学の正教授の講義、浄水場や農業用水池のフィールドワーク、NASAのロケットの話し、弁護士による老人体操等で変化があり興味津々であった。
また隣に居るはずの人が、今日は居ないと亡くなりでもしたのかと心配になる。そうこうしているうちに一年が経過した。昼飯後の講義中に一名が脳溢血で倒れ救急車を手配したり、AEDの実地使用があった。この時は引退したお医者さんも学生の中にいて適切なアドバイスがあり命を取り留めている。そして二年生になった。そして今度はクラスの一名が亡くなり、退学者もでたりしてクラスが少しずつ欠け始めた。この時、ガイダンスの時の事務局員の冗談を思い出した。
懇親会では、高齢の割に飲み放題の店を選び「俺が一番損をするかもしれない」などと堂々と喋りまくるのが出てくる。その場では笑っているが落ち着くと笑いが止まる。
話題を変えようと誰かが言って別の話題に移る。今度は次期の役員の話しに移る。積極的に手を挙げる人は何人もいない。お恥ずかしいが自分もその一人である。最終的に順番制でしぶしぶ承知するような状態である。その遠慮する理由がパソコンが出来ないからというのが多い。過去に暮らすのレポートを回収した時にはみんなパソコンで作ってあり手書きの人は一人しかいなかったので殆どの学生が出来るはずであるが、パソコンは倅に打っても貰わなければできないと釈明する。
この役員交代の時期が過ぎると、クラスは元の活気を取り戻す。学園祭や研修旅行が入ったり「中山道歩きの募集」があったり、参加状況を見ると。いきがい大学はまさに仲間づくりである。現役時代の今までの仕事人間が一段落して、暇を有効に使おうとボランティア等に精を出し始める。やはり名称は老人大学でなく「いきがい大学」がぴったりだ。
(作文のタイトルは編集室が付けました)