なぜ731部隊は罪悪感なく人体実験ができたのか

常石敬一神奈川大学名誉教授「731部隊とは」(その1)

8月に放送されたNHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」は大きな反響を呼んだ。人体実験の非人道さはもちろんのこと、医学界のエリートが深くかかわっていたことにショックを受けた人も多いはずだ。同番組の製作に協力した731部隊研究第一人者・常石敬一神奈川大学名誉教授に、731部隊とは何だったのかを訊いた。

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常石敬一神奈川大学名誉教授

8月に放送されたNHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」は大きな反響を呼んだ。人体実験の非人道さはもちろんのこと、医学界のエリートが深くかかわっていたことにショックを受けた人も多いはずだ。同番組の製作に協力した731部隊研究第一人者・常石敬一神奈川大学名誉教授に、731部隊とは何だったのかを訊いた。

「科学と戦争と人々――満州731部隊の歴史と素顔」講座で

731部隊とは、戦時中、細菌兵器を研究・開発する目的で旧満州に設置された関東軍防疫給水部本部の秘匿名称(通称)だ。部隊長は石井四郎陸軍軍医中将(1892-1959年)。731部隊の人体実験と、東大・京大・慶大の学の医学エリートがそれらの実験に深くかかわっていたことがNHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」で明かされた。そのスタッフ紹介テロップ冒頭に「協力」として名前が出たのが常石先生である。

731部隊というと、大ベストセラーとなった森村誠一著『悪魔の飽食』が有名であるが、『悪魔の飽食』の連載が『しんぶん赤旗』で始まる2年も前に、常石先生は『科学朝日』で731部隊に関する連載を始め、『悪魔の飽食』が刊行される前に、日本で初めての書籍『消えた細菌戦部隊 関東軍第731部隊』を上梓している。その後も731部隊関係者の証言集めを含め、実証的な研究を進めてきたことで知られる。

常石先生は今、神奈川大学公開講座で「科学と戦争と人々――満州731部隊の歴史と素顔」と題した講座を開講中だ。これは、1990年代後半に神奈川大学STSセンターが記録した731部隊関係者の証言を視聴しながら731部隊について学び、「もし自分が関わっていたならどうしたか」を考えてもらおうという企画である。第1回の受講後、常石先生に話を聞いた。

北は満州から南はシンガポールまで広がった石井機関

731部隊の母体となったのは、東京にあった陸軍軍医学校防疫研究室(防研)だ。防研を創設したのが、のちに731部隊長となる石井四郎である。その目的は生物兵器の研究・開発にあった。そのために731部隊はペスト等の細菌、毒ガス、凍傷等の人体実験を行い、3000人もの犠牲者を生んだ。

驚くべきは防研が部隊を設置した地域の広大さだ。北は731部隊のあったハルビンから、南はシンガポールまで。日本軍の戦線拡大に歩を合わせる形で、ハルビン、北京、南京、広州、シンガポールと拡大していったのである。それらの防研ネットワークは「石井機関」と呼ばれる。その本部が防研だった。

常石先生は石井四郎についてこう語る。

「石井四郎は医学研究のオーガナイザー(組織者)として、ものすごく優れていたんです。当時、世界では“巨大研究(ビッグ・サイエンス)”といって、多数の科学者を組織し多額の予算を集中させて研究を進めるという考えが出始めていました。日本でも1935年くらいからさまざまな科学分野で巨大研究が奨励されるようになります。でも各分野でなかなか成功例が出ないなか、おそらく日本で一番最初に大規模に展開して成功したのが石井機関じゃないかと思いますね。寒帯の満州から熱帯のシンガポールまでをカバーして、およそ日本兵がいるところの病気は全て網羅したのですから。医学という分野でビッグサイエンスを日本で最初にうまく動かしたのが石井だったと思います」(常石先生。以下「 」内同)

石井がめざしたものは、あの世界的に有名な研究所

常石先生は、最終的に石井が作りたかったのは、ロックフェラー医学研究所のようなものだったのではないかと言う。

ロックフェラー医学研究所とは、ロックフェラー一族が作った医学研究所で、今はロックフェラー大学と呼ばれている。世界中から優秀な科学者を集め、先端的な巨大研究を行ったことで知られ、野口英世も所属していた。その実力は、現在までに23人のノーベル賞受賞者を輩出していることからもわかる。

「石井はロックフェラー医学研究所のようなものを作って、自分はその所長になりたかったんでしょう。所長の仕事は金集めと人集め。研究よりそっちの方が彼には向いていたと思いますね。ただ石井は軍の中でしか成功できなかっただろうとも思います。とにかくルールを守らずに強引に物事を進める。あの猪突猛進ぶりが許されたのも軍だからこそ。その点、彼の右腕だった内藤良一(1906-1982年)は社会のルールを知った上でそれをうまく利用することに長けていたから、戦後、日本ブラッドバンク(後に株式会社ミドリ十字に社名変更、現在は田辺三菱製薬株式会社)を創業して成功します」

石井のオーガナイザーとしての能力は、人体実験の各プロセスを分業化することにも表れているという。それこそが731部隊の特筆すべきシステムだった。

なぜ人体実験の秘密が守られ、関係者は罪悪感を感じなかったのか

1938年に800人くらいだった731部隊の要員は、1940年に急激に拡大し、約3200人に達する。そのうち人体実験にかかわっていたのは100人くらいだったろうと常石先生は言う。しかし、100人もの人間がかかわりながら、その秘密がもれず、また、この極めて高ストレスの任務を数年もの間続けられたのはなぜなのだろうか。

「たとえばペスト菌を研究している医者がいるとしましょう。彼がこういう実験をしようと、監獄に行って被験者(部隊でマルタと呼ばれた)にペスト菌を注射する。その後は監獄の医者が毎日のデータを取って研究者に上告する。ペスト菌を研究している医者はそのデータを見ながら、たとえば1~5の被験者は5日目に殺すように、という命令を出す。すると監獄の医者が5日目に病理解剖をする人に指令を出して、解剖担当者が解剖する。そして最初の医者にその結果を報告する。つまりペスト菌の実験を主導する医者は、最初に注射して、あとはデータをもらうだけ。ものすごい分業システム。

ペスト菌をばらまく時も同じ。ペスト菌を車で運ぶ人、車から菌を下ろす人、下ろして運ぶ人、それを撒く人、すべて別。だから罪の意識が出てこないんです。

作戦を統括しているのは、石井とか内藤とか、上層部のごく一部の人間だけ。ほかの人は自分がピースだけしか担当していないから、いったい何をしているのかもわからない。だから情報漏洩もない。このすごいシステムを考えたのが石井。彼は本当に優秀なオーガナイザーだったんです」

(続く)

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