「学びと私」コンテスト 11月はこんな作文が集まりました![5]

11月の一次審査通過作文/「学びと私」作文コンテスト

11月30日に締め切りとなった第4回「学びと私」作文コンテスト。1次審査を通過して第4回金賞候補作になった作文のうち一部をここで紹介します。12月の第5回のテーマは「語学を学んで」。12月末日締め切りです!

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学びと私コンテスト

11月30日に締め切りとなった第4回「学びと私」作文コンテスト。1次審査を通過して第4回金賞候補作になった作文のうち一部をここで紹介します。12月の第5回のテーマは「語学を学んで」。12月末日締め切りです!

知っているつもりのパソコンをもう一度学んでみたら

 私がパソコンを始めたのは1995年、まだWindows3.1の頃であった。
 仕事でもまだあまり使われてはいず、単なる主婦の趣味としてやっている人は周りにはおらず、本を読んでの独学と市やメーカーの無料講習会をせっせと受けての実践だった。
 各講習会もパソコンが初めての人たちを対象としていたこともあって、ローマ字とかな入力を両方とも同じように説明してくれたので、私はもちろんかな入力を選んだ。
 それでも、はがきや手紙類はもちろん、家計簿、医療控除などの書類は何とかこなしていた。初心者用のパソコン誌もかなり読んだ。
 おかげで医療費控除では片端から、入力しても簡単に病院別、個人別、日付順に並べ替えて集計することもできるようになったし、ホームページ、ブログも作った。
 レタッチソフトを使って凝った年賀状を出したりもした。
 家計簿も私にとって必要な項目を使いやすいように自分でExcelを駆使(?)して作った。
 そうやって、私としては私にとって必要なことは全部できるつもりだった。
 ただ、定年退職後、ただ一つの趣味だった釣りも体力的に無理になってから、毎日、何もしない夫がぼけるのではないかと気にかかり、市民大学のパソコン学科を強く勧めたが、嫌だという。
 それなら、私も一緒に通うことにして、やっと承知させ、二人で申し込んだ、ところが希望者多数のため、抽選で私だけが当たり、夫は外れてしまった。
 私としては、わかっていることを習うのではという抵抗はあったが、一年に1万円の授業料だしと思って通い始めた。
 最初に困ったのはローマ字入力、しかし、パソコンの操作には慣れていたこともあって、入力の遅さは何とかカバーできた。
 びっくりしたのは私は時間はかかっても不自由はしないからと最初に覚えた方法でやっていたのに、最近のバージョンではもっと簡単に機能を呼び出せる方法があるということを知った。
 いつもレタッチソフトを使ってやっていたことがwordでもできることを知ったり、やっぱり受講した甲斐はあった。
 夫にそんな話をしたら、夫も民間のパソコン教室に通い始めたが、そこは明らかに儲け主義。
 そんな時に商工会議所の口座の案内を見て、二人で説明を聞きに行った。
 一人一人の能力に合わせてくれるし、最初の診断テストでできることは飛ばしてくれるという。そこで今度は二人で通い始めた。
 夫は基礎からやっていたが、私はWindowsやwordの基礎は飛ばして自由に選べたので写真、図形、描画関係を選んで受講したおかげでかなり使いこなせるようになり、最新のWindows10を買って楽しいパソコンライフを送っている。
 最初のパソコンですべて自分一人でやってきた経験から、Windows10も無線ランも独力で設定できた。古いやり方にとらわれることなく、常に最新の方法をと心がけている。
 これらのことは市民大学で、また、商工会議所の講座で学びなおした結果で良かったと思っている。
 それがなかったら、相変わらず、最新の機能は使わず、回りくどい方法でやっても、パソコンを使いこなしているつもりだったのであろう。
 パソコン関係の雑誌も初期のことは夢中で読んでいたが、一通り使えるようになると、必要ないと思っていたが、再び、最新の記事を求めて読み始めた。
 世の中は常に進歩している。一度学んだからとできるつもりにならずに学びなおしが必要であるとつくづくわかった。

谷口美奈子さん(77歳)/千葉県

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60(歳)代の学びと冒険

「60代の10年間をどう過ごすか、は重要です。順調ならまだ20年以上は生きられるはずです。でも70代になったら身体が動かなくなるかもしれませんし、病気になるかもしれません。さあ、まだまだ元気な60代をあなたはどう過ごしますか?」

60歳を過ぎても仕事は続けたい、と思っていたのが、この問いかけで考えが変わった。テレビだったか雑誌の広告や記事だったか、なんにせよ私は考え込んでしまった。そして意外にもあっさりと、よし引退しよう、新しい20年を始めてみよう、と決意した。

さて、ではどうやって新しい人生を味わいつくすか。全世界を旅してみたい、という若いころからの夢がよみがえった。ただ、持っているお金には限りがあるのでそんなにしょっちゅう旅に出るわけにもいかない。何よりも、この歳になっても世界のことを知らなすぎるではないか、と気づいたのだ。

そこで、旅先の国の歴史、地理、文化を学び直してから旅に出ることにした。現地で会話くらいできないといけないだろうから、これも学び直しだ。そう思ったとき、なんと膨大な勉強をしなければならないかと、かえって嬉しくなってきたのだった。

引退後、毎日の自由な時間に勉強のための時間を日課として入れ込んだ。第一回の目標はスペインへの旅にした。スペイン語講座を始め、各都市の概要を勉強し始めた。意識してみると、結構テレビで旅番組をやっていて、スペイン各地の情報も手に入ることがわかった。録画してじっくり観てみる。カテドラルが紹介されると、教会建築の歴史も調べなければと思った。グルメ情報やフラメンコなどの文化、美術館で見られる絵画や彫刻についても調べたくなった。こうして、学び直しどころか、知らないことがたくさんあってそれを学んでいくことがワクワクする体験となっていった。

ただ、欲張りすぎてもいけない。勉強は完成することがない。勉強を始めて一年たった時、とにかくスペインに一か月、旅に出ることにした。毎日が刺激的で感動的な日々だった。片言のスペイン語は何度か役に立った。「オラ」と「グラシャス」だけでも毎日使っていると現地になじんだ気がするものだ。宿の予約から宿にたどり着くまででもいろいろトラブルを経験した。地下鉄切符の買い方すらガイドブックに出ていたようにはいかなかった。まるで冒険だった。実際の旅で体験することが学びとなる。いくら事前に勉強しても、実際に体験しなければ身につかないものである。フラメンコを鑑賞し、絵画を鑑賞し、数多くの歴史的建造物を鑑賞した。地元料理を味わい、異国の香りを吸う。その場で感じることが大いなる学びとなることを知った。

一か月のうちには夜中咳が出て止まらない日が何日か続いたこともあった。現地の人に聞いて薬を買った。若いころより身体のもろさはやはりあるのだろうか。そうであればなおさら早いうちに次の冒険を考えねばならない、と思った。

今回使用したスペイン語に磨きをかける上でも、来年はスペイン語圏の中南米を旅してみようと考えている。今度は最低二か月の旅にチャレンジしようと思う。さあ、またいろいろ事前勉強しなければ。身体も鍛えておかなければ。私の60代はまだ始まったばかりなのだ。

酔月さん(61歳)/埼玉県

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介護に感謝です

 11月12日美術検定。33年ぶりに試験勉強、試験を受けて来ました。

30年間会社勤めしてました。転職はしましたが、1日も開けず休憩せずに、御給金もらって来 ました。事あるごと、主人と子には「独り身15年間は、この部屋の埃だって自分 で稼いだものよ。誇りよ。」と思って生きて来た、と、言ったものです。

昨年、 義母の介護のため、退職しました。 義母は、故郷の長野で洋裁、聖心女子で英文学と、2つの大学で学んでいます。17年前、嫁入りした当時、英語は私なんぞ よりよっぽど読解は出来るようで、ベッカムばやりの時は「あの人の英語は、○○ 訛りがあるようで、がっかり」。さらに「平山郁夫は芸大の学長を2度もやって いて芸術家としてはねえ」などと、私なんぞにはない知識博学な人でした。おまけに「関ジャニ∞は8人じゃないのよねえ」と、全てに関心、飽くなき探究心のある人でした。

それが、それが、です。私は誰、あなたは誰、となってしまいまし た。私にとって唯一人生で残念な事、あの御母さんと、もう少し早く出会ってい たら、もっと楽しかったのに、でした。そのくらい面白い人でした。

今年、義母は介護施設に入所しました。一年間、彼女を診て「私も、いつまで、自身の頭と足で人生楽しむことが出来るだろう」と、思うようになりました。女の人生は 88、です。でも、終焉まで味わえるわけではありません。自分にとって自分自身 を認識する、には限りがあるのです。

私は県下一の高校合格を目指し、力量以上 の受験勉強をしました。合格してしまってからは2度と勉強したくない、などと 思い、大学受験失敗、運転免許さえ挫折です。ことごとく、試験という試験は避 けて来ました。勉強は大嫌いになりました。ところが、ところが、です。急に、 学ばない人生と学べない自分に不安になり、これを続けることは、大損なので は、と思ったのです。そして、あっという間に、そんな偏向思想は、無かったこ とにして、33年ぶりに勉強です。

大好きなお笑い芸人さんが、彼の得意な美術 で、興味の持てそうな講座を開催しました。その美術講座に参加、美術検定の存 在を知りました。ちょうどの気分に、どうせなら、と、高みを目指し3級挑戦です。10月から1ヶ月半、肌身離さず参考書を携帯しました。電車もホームも、立ち勉強です。

わかったことは、聴くだけでは駄目です。目標があると、頭蓋骨の 中に沈殿してくれるのです。わかったことは、私も捨てたものじゃない。勉強することが出来るんだ、です。試験レベルまで出来たかは、12月末まで分かりませ ん。でも、毎日が楽しかったのです。この検定が、何が何して何になる、なんてどうでもいいことです。次は、3月、世界遺産検定3級です。その次は、江戸検定、のつもりです。

もう、子に、勉強しなさい、は言いません。「勉強するから、お母さんの邪魔しないで」です。でも、息切れしないよう、身の丈を知り、 生きていきます。

浪久千春さん(54歳)/東京都

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私の学ぶ理由と勉強の楽しさについて

私は学校を卒業して以来、長い間勉強していなかったが八年前くらいに再び勉強を始めた。
その理由は、勉強をして知識や知恵を身につけて生活面で段取りを良くし、仕事でもっと活躍したいからである。
勉強を再開したころは学生時代に得意だった国語や英語を主に勉強していた。
しかし最近は苦手だった数学の勉強にも挑戦している。
私は読書好きで、日本文学を好んで読んでいる。
大変役に立つと思った箇所は、受験生のように赤線を引いて何度も暗唱をして覚えている。
だが大事だと思った箇所を赤線で引いているのは試験の為ではなく、小説から生きる知恵を学ぶためである。
正直に言うと、学生時代は何のために勉強するのかわからなかった。しかし今は学んだことを社会生活で生かすという目的があるので学生時代の勉強よりも何倍も楽しさを感じている。
古文や漢文の勉強も面白い。古文で書かれた書物にも私にとって役に立ちそうなものが多い。
原文と解説の両方を読んでいるうちに少しずつ原文のままでも理解できる箇所が増えてきている。
原文のまま何を書いているのか理解できるようになれば、読むスピードが速くなりその分多くの本を読めて知識が増える。
英語の勉強は学生時代、読みと文法が中心だった。
今は実際に英語圏の人と会話する場面を想定して勉強している。たとえば洋画を見て会話の時にどんな表現をしているか、会話の速さはどれくらいかを体感している。
洋画を見て実践的な英語を学ぶことが出来て、映画の内容も楽しめるから一石二鳥である。
数学は苦手だったので、結局数学が出来ないまま高校を卒業してしまった。
だが最近、仕事をする上で数学的な思考力も必要かもしれないと思うようになり、高校で学ぶ数学Ⅰの参考書を買って勉強している。
数学は私にとって理解しにくい。しかし今は仕事で生かすためという明確な理由がある。
だから数学の勉強は少々難しくても頑張れる。数学ができれば計算が早くなり、仕事でも生かせるはずだ。そういう風に考えると数学の勉強に自然と気合が入る。
今では得意だった英語や国語よりも苦手だった数学の勉強が好きになっている。
苦手だった数学を克服することで、数学をわからないままにしていた罪悪感のようなものをなくすことが出来る。それに私は大学受験や就職試験の時、数学が出来ない為に良い結果を出せないことが何度もあった。
だから数学ができるようになれば新しい自分になれるという期待がある。
学生時代のように、一日に何時間もかけて勉強するということは社会に出てからは難しい。
しかし高校を卒業し、社会人になってからの私の勉強はもう受け身ではない。それに仕事や生活面で生かすための勉強なので続けていこうと思っているし、勉強が楽しくてやめられなくなっている。

真冬の雪光さん(42歳)/大阪府

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1曲だけヨーヨー・マ

 50年以上前大学に入学したての4月、通りかかった教室からチェロの音が聞こえてきました。よく聞いていたバッハの無伴奏チェロソナタでした。その演奏はそれほど上手くはなかったのですが重厚な低音はとても強い印象を私に与えてくれました。私も弾けたらいいだろうなと思って管弦楽団クラブに入りました。トランペットはブラスバンドに入っていたので経験していましたが、チェロは完全な初心者でした。個人レッスンの先生を紹介されて週1回通いました。レッスン料は1回500円でした。

 当時は貧乏学生で楽器を買う余裕はありませんでしたので、クラブ所有の楽器を使わせてもらいました。ところが、これがなんとベニヤ製で頑張って弾いても音があまり出ませんでした。授業をさぼって部室で練習ばかりしていました。猛練習のお蔭で3年次にはチェロソナタの1番は真似事程度には弾けるようになりました。卒業後も個人レッスンは続けました。30歳になった頃暮らしに少し余裕ができたので楽器を買い替えました。やはり日本製でしたが、ベニヤ製よりはましな音がしました。練習する曲はいつもバッハの無伴奏チェロソナタでした。ところが40歳あたりから仕事が忙しくなって個人レッスンンもやめてしまいました。いつか時間ができたらまた再開しようと思っていました。

 そして5年前に定年。チェロの練習を中断してから4半世紀ぶりに、ようやくチェロに打ち込む時間ができました。それも好きなだけやれるのです。まず、退職金の半分近くを使って分不相応なイタリア製の楽器を購入しました。大変良い音がします。私は50代で管理職にあった頃、くたくたになって帰宅するときに電車内でいつもこんなことを夢見ていました。

「定年になったら思いきりチェロを練習するんだ。そして、1曲でいいからヨーヨー・マにもカザルスにも負けないくらいの演奏を人前でするんだ。」

 これを実現する時がついにきたと思いました。今、近所の音楽学院に通って個人レッスンを受けています。昔はとても無理だと思っていた曲は今ではなんとか弾けるようになりました。まだまだヨーヨー・マを超える演奏など考えられませんが、練習をやめたらその夢はかなわないからとにかく続けることが大事だと自分に言い聞かせています。

 一人家でチェロを弾きながら、こんなことを想像しているのです。

「燕尾服を着てサントリーホールの舞台に立ち、満員の聴衆を前にバッハの無伴奏チェロソナタを弾き終えた自分がいる。アンコールの拍手がやまない会場。さて、アンコールに弾くフオーレの『夢の後に』を弾き出す自分がいる。」

 こんなことを想像していると時間がたつのも忘れてしまいます。サントリーホールはさすがに無理ですが、来年1月に近所の区民ホールで発表会に出ます。子供が走り回っているような低レベルの音楽会ですが、気分はヨーヨー・マのつもりで『夢の後に』を弾きます。少なくとも数人の聴衆を唸らせてやろうと気負っています。

 こういう話を妻に聞かせると妻は呆れてはてて笑います。でも、夢は大きく、そして駄目だと思った時点で夢は叶わない、と私は真面目に思っているのです。精神一到何事かならざらん、です!これから後30年間、100歳まで生きてチェロを続けたい。この30年は丁度私がチェロをやめていた期間です。その分を埋め合わせるつもりです。

よしおカザルスさん(70歳)/東京都

(一部の作文に、編集室が文字の訂正などをしています)

過去の「学びと私」コンテストの金賞作品はこちらから
10月(第3回)の金賞3本が決定しました
9月(第2回)の金賞3本が決定しました
8月(第1回)の金賞3本が決定しました

 

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