京都の古寺社を巡る㉜《第2回》 京都の古寺社を巡る㉜《第2回》 - 鷹峯の寺社 -

龍谷大学龍谷エクステンションセンター
学外・京都市北区
松波宏隆

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講義詳細

講義詳細
講座名
京都の古寺社を巡る㉜《第2回》 京都の古寺社を巡る㉜《第2回》 - 鷹峯の寺社 -
大学
龍谷大学龍谷エクステンションセンター
キャンパス
学外・京都市北区
概要
今回は鷹峯の寺院をまわりながら、この地域の信仰の歴史を考えます。鷹峯の地は山城国愛宕郡栗栖野郷の西北端で葛野郡との境界地であり、豊臣秀吉の設けた京の羅城である御土居を出た先にあたります。近世までは独立した村落ではなく、丹波への長坂越え(京見峠)の出入口でした。その地を元和元年(1615)、徳川家康より本阿弥光悦に与えられ、光悦はここに一族・一派の豪商・手工業者(芸術家)と集住しました。彼らは日蓮宗の信者であり、その信仰を紐帯としたため、日蓮宗寺院が多く建立され、一大拠点地となりました。しかし光悦の死後、天和元年(1681)に集住地は幕府に収公され、日蓮宗寺院は残りましたが、他の寺院も建立されるようになりました。
【見学予定地】■常照寺/日蓮宗。光悦の子光瑳が法華鎮所として、寛永四年(1627)、本満寺13世であり身延山久遠寺21世でもある日乾を開山として建立した。日乾はここに宗僧の学問所である壇林を開設した。日蓮宗六壇林の一で、30余棟の堂宇が林立し、数百人の学僧がいたが、明治になり廃止された。本堂は壇林の講堂であったもので、宝永四年(1704)の棟札がのこる。■光悦寺/日蓮宗。光悦は鷹ヶ峰拝領後、本阿弥家の先祖供養の位牌堂を設けた。また、光悦の屋敷である大虚庵には自刻の上行菩薩像が安置され、法華経一万部が読誦された。光悦が没した寛永十四年(1637)の後、本法寺の日慈を開山として寺院とした。また、光悦晩年に位牌堂を寺院化したともされる。■源光庵/曹洞宗。もとは貞和三年(1347)、大徳寺二世徹翁義享の隠居所として開かれた、大徳寺の塔頭であったが、元禄七年(1694)卍山道白が再興し、曹洞宗に改めた。金沢の富豪中田靜家の寄進による。道白は道元の一師印証の面授嗣法を支持し、宗統復古運動に尽力した一方、隠元のもたらした規矩も手本とした。■御土居/豊臣秀吉が天正十九年(1591)に築造した京都防御のための土塁。幅20m前後、高さ4m以上あるが、短期間の造営であり、版築(層積み、各層毎に突き固める工法)せずに盛り土した部分が多いようである。前面には堀を設けた。秀吉は京都の大規模な都市改造をおこない、それが現在の京都の都市構造の基礎となっている。/など/(拝観料等を含む)
会員価格
6,340円
一般価格
8,020円
講座期間
2017/09/09~2017/09/09
開講時間
13:00~17:00
曜日
講座回数
1回
定員
講師名
松波宏隆
講師概要
龍谷大学非常勤講師。龍谷大学文学研究科修了。主要論著に、「高句麗山城城壁の女墻後接方孔(柱洞)の構造と機能」(徐光輝編『東北アジア古代文化論叢』)、「『日本書紀』に登場しない百済二王―毘有王・武王をめぐって―」(松倉文比古編『続日本古代の社会と宗教』)など。
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アクセス
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日時の変更もありますので、開講情報は必ずこのページの大学HPからご確認ください。

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