京都歴史散策㉝《第2回》- 祝園(ほうその)を歩く -
龍谷大学龍谷エクステンションセンター
学外・京都市精華町
松波宏隆
-日本文化, 講義詳細, 趣味・実用
-学外・京都市精華町, 松波宏隆, 講義詳細, 龍谷大学龍谷エクステンションセンター
講座名
京都歴史散策㉝《第2回》- 祝園(ほうその)を歩く -
概要
祝園という地名は『日本書紀』崇神天皇十年条に起源説話がのこり、古代の古戦場として伝わっています。木津川の左岸にあたり、古代には山陽道が南北に通り、その後は奈良街道として機能しました。奈良と京都の中間に位置し、両都の文化的影響が色濃い地域です。中世末には応仁の乱や山城国一揆の舞台ともなりました。今回はこの精華町南部地域を歩き、文化財の見学を通して地域の歴史を考えます。
【見学予定地】■新殿神社/十三重石塔<重文>は基礎に延徳三年(1491)銘がのこる。境内には薬師堂もあり、神宮寺として医王寺の名も残っている。■前ノ畑遺跡/弥生時代の集落、古墳群、奈良時代の掘立柱建物群などの複合遺跡。古墳群は横穴式石室を主体部とする後期古墳が多いが、石室の構造は近畿地方には珍しく尾張・美濃との共通項が指摘される。奈良時代の掘立柱建物群は大型の井戸もあり、豪族居館や官衙的建物の可能性が指摘されている。■如来寺/十一面観音菩薩立像は一木造で、頭部が大きめに、肩を張って造るなど、平安前期造立と推定される。■常念寺/融通念仏宗。薬師堂の菩薩形立像<重文>は、祝園神社にあった薬師堂から移されたと伝わり、後補の手には薬壺を持つ。一木造で、体躯の量感、膝前でW字状に交差する天衣の表現など貞観仏(9世紀)としての特徴を見せる。/ほか/(拝観料等を含む)
講座期間
2017/04/22~2017/04/22
講師概要
龍谷大学非常勤講師。龍谷大学文学研究科修了。主要論著に、「高句麗山城城壁の女墻後接方孔(柱洞)の構造と機能」(徐光輝編『東北アジア古代文化論叢』)、「『日本書紀』に登場しない百済二王―毘有王・武王をめぐって―」(松倉文比古編『続日本古代の社会と宗教』)など。
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