「耳当てのついた帽子」は街中でかぶらない
中西先生は、「私たちが抱くホームズのイメージは、100年の歴史の中で定着していったものなんです」と語る。
――ホームズのファッション・イメージはいつ、どのように固まったのでしょうか。
「ホームズのファッションは、原作に書いてあるものもありますし、その後の映像化でイメージが固定されたものもあります。映像に大きな影響を与えたのが、原作に添えられたシドニー・パジェット(1860~1908年)の挿絵ですね。パジェットの挿絵はホームズのイメージをブランディングしただけではなく、映像の中の構図にまで影響を及ぼしています。たとえば『青いガーネット』で、ホームズがソファに脚を投げ出して帽子から推理するシーンがあり、いくつかの映画でも同じポーズを取ってますが、これは挿絵がそのように描かれています」
――ホームズのイメージ・アイテムのひとつ、鹿撃ち帽がありますが、原作ではどう描かれているのですか?
「原作では、『鹿撃ち帽』とは書いていないんですよね。『耳当てのついた帽子』とだけしか記述がありません。鹿撃ち帽は、英語でディアストーカー(deerstalker)といって、その名のとおり鹿狩りに行くときにかぶるものです。ちなみに原作でも、ホームズが『耳当てのついた帽子』をかぶっているのは、郊外に出かけているときだけ。ロンドンの街中にいるときはシルクハットやボーラーハット(山高帽)をかぶっています」
――なぜ街中ではかぶらないのですか?
「鹿撃ち帽は猟に出るときにかぶるもので、街中でかぶるのはドレスコード違反だったんです。当時(19世紀末)、国会議員のジェームズ・ケアハーディが、正装で登院すべき国会議事堂に鹿撃ち帽をかぶって入ったことが大問題になったという伝聞もあるほどです。ちなみにホームズを演じて生き写しだと賞されたピーター・カッシングは、1959年の『バスカヴィル家の犬』の中でも鹿撃ち帽はかぶっていません。また、現代最高のホームズとの呼び声高いジェレミー・ブレットは、郊外に出かけるときしか鹿撃ち帽をかぶっていません」
パイプの形も真っ直ぐからS字に
――ホームズを象徴するアイテムに、インバネスコートがありますが、これについては?
「ドイルは『コート』としか記述していませんでした。それをインバネスコートにしたのも、パジェットです。またホームズはガウン姿でも登場しますが、その色は原作によれば、3色あります。そのときたまたまドイルが気に入っていた色を書いたのでしょう」
――ホームズといえばパイプですが、これは原作にも出てきますし、パジェットの挿絵にもありますね。
「原作でもホームズはパイプをしょっちゅうふかしています。しかし当時のパイプの柄はまっすぐだったんです。パジェットの挿絵でもそのように描かれています。しかし、いま私たちのイメージするホームズを思い浮かべてください。S字に曲がっているキャラバッシュパイプをくわえていませんか? このように、曲がったキャラバッシュにしたのは、ウィリアム・ジレットが芝居でくわえたのが最初です。その後、1916年の映画『シャーロック・ホームズ』でもジレットはキャラバッシュパイプをくわえ、ホームズといえばキャラバッシュパイプというイメージが定着しました。パイプが真っ直ぐだと顔がよく写らないとか、構図が決まらないといった理由だったのではないでしょうか。それを原作当時のパイプに戻したのが、現代最高のホームズとして今なお人気を誇るジェレミー・ブレットでした。『シャーロック・ホームズの冒険』(グラナダ・テレビ制作、1984〜1994年)でブレットは柄のまっすぐなパイプを使っていますね」
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文/和久井香菜子