皇太子のほかに有力な皇親が出てきたら
天皇は歴代世襲制で、親から子へ引き継がれるもの……というイメージが定着しているが、実はその考えが定着したのは17世紀以降だったという。
国士舘大学で開催された公開講座「皇位継承とさまざまな儀式」で、国士舘大学教授の藤森馨先生は「万世一系の天皇」の考え方について、こう解説する。
「皇統というものは、もともと厳密に言えば万世一系ではないんですね。南北朝時代にふたつの皇統が存在した時代もありましたし、世継ぎが生まれなければ分家から天皇を擁立することもおこなわれていました。そもそも『万世一系』という言葉自体が生まれたのは、17世紀ごろ。儒家たちが作り出した言葉です。天皇の皇位継承に『万世一系』という言葉が頻繁に使われるようになったのは、明治時代でした」
過去の皇統譜を見てみると、途中で天皇に男児が誕生せず、血統が途絶え、家系を遡って別の分家にいる男性に皇位を継承するというケースも多い。天皇の世数と代数が一致するようになるのは、江戸時代に第119代天皇となる光格天皇(1780年に即位)以降だという。
「昔は皇太子制度というものはあまりしっかりしておらず、ほかに有力な皇親(天皇の親族)が出てきたり、天皇の息子がまだ幼くて天皇に即位するのは難しいと判断されたりした場合などは、皇太子以外の皇親を天皇に据えるということも行われていました。だから、皇統がひとつに統一されていないケースも起こりえたんです」
歴代を遡っても女性の天皇が誕生している時代もあるが、これもその皇太子制度を補完するために生まれたものであるという学説もあるとか。
「女帝を認めないのは問題」という議論も交わされるが
それでは、なぜこの「万世一系」と言う考え方が生まれたのか。
「先ほども申し上げたように、『万世一系』という考え方が広まったのは、明治以降。これは、権力争いの防止だという説が有力です。古くは、天智天皇の太子である大友皇子と、天智天皇の弟である大海人皇子(のちの天武天皇)の、皇位継承をめぐる争いから勃発した壬申の乱(672年)のように、皇位継承の範囲が多くの人に広まってしまうと、大きな権力争いに発展してしまう可能性が高かったんですね」
それを回避して国を安定させるためには、皇太子の存在を定め、ひとつの系統で皇位を継承していくことが最良であると考えられてきたのだという。
「現代では、『女帝を認めないのはジェンダー的に問題ではないか』という議論も交わされることもありますが、歴史を紐解くとそこには『できるだけ皇位継承者を少なくした方が争いがない』など、様々な理由があります。皇位継承の問題は、現代の感覚では理解できない点も多いかもしれませんが、安易に判断できる問題ではないんですね」
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取材講座:「皇位継承とさまざまな儀式」(国士舘大学生涯学習センター世田谷キャンパス)
文・写真/藤村はるな