京都の古寺社を巡る㉜《第1回》- 鷹峯の寺社 -
学外・京都市北区
松波宏隆
講義詳細
【見学予定地】■常照寺/日蓮宗。光悦の子光瑳が法華鎮所として、寛永四年(1627)、本満寺13世であり身延山久遠寺21世でもある日乾を開山として建立した。日乾はここに宗僧の学問所である壇林を開設した。日蓮宗六壇林の一で、30余棟の堂宇が林立し、数百人の学僧がいたが、明治になり廃止された。本堂は壇林の講堂であったもので、宝永四年(1704)の棟札がのこる。■光悦寺/日蓮宗。光悦は鷹ヶ峰拝領後、本阿弥家の先祖供養の位牌堂を設けた。また、光悦の屋敷である大虚庵には自刻の上行菩薩像が安置され、法華経一万部が読誦された。光悦が没した寛永十四年(1637)の後、本法寺の日慈を開山として寺院とした。また、光悦晩年に位牌堂を寺院化したともされる。■源光庵/曹洞宗。もとは貞和三年(1347)、大徳寺二世徹翁義享の隠居所として開かれた、大徳寺の塔頭であったが、元禄七年(1694)卍山道白が再興し、曹洞宗に改めた。金沢の富豪中田靜家の寄進による。道白は道元の一師印証の面授嗣法を支持し、宗統復古運動に尽力した一方、隠元のもたらした規矩も手本とした。■御土居/豊臣秀吉が天正十九年(1591)に築造した京都防御のための土塁。幅20m前後、高さ4m以上あるが、短期間の造営であり、版築(層積み、各層毎に突き固める工法)せずに盛り土した部分が多いようである。前面には堀を設けた。秀吉は京都の大規模な都市改造をおこない、それが現在の京都の都市構造の基礎となっている。/ほか
/(拝観料等を含む)
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