2つの「あなた」。距離の詰め方を「失敬」と
阿出川先生の授業では、文法や単語を学びながら、ロシア文化に触れることもできる。語学を学ぶことは、その言語を使う人々を理解するための道でもあるのだ。
ロシア人の繊細な人間関係を象徴する言葉をひとつ紹介しよう。
ロシア語の「あなた」には、「ВЫ(ヴィ)」と「ТЫ(トゥイ)」の2つがある。この使い分けが、日本人の感覚では理解するのが容易ではないという。
一言で言えば、この違いは以下のとおりだ。
ВЫ:目上の人や距離のある人、改まった場所で使う「あなた」
ТЫ:親子、兄弟、夫婦、友人など親しい間柄や、子どもに対して使う「あなた」
難しいのは、「ВЫ」での付き合いが、「ТЫ」へと移行するタイミングである。
「ТЫ」で会話をするということは、十分に信頼できる親しい関係になった証なのだが、自分は信頼関係が築けたと思って「ТЫ」を使うと、相手は不快感を覚えることがあるという。こちらは親しみをこめたつもりでも、相手はその距離の詰め方を“失敬”と感じることがあるというのだ。日本人には計り知れない独特の感性を、ロシア人は持っている。
ロシア人は笑わない
「日本人がロシア人と会話する場合、相手から〈ТЫ〉を使いましょうと提案されるまで待っていたほうがいいと思います」と、阿出川先生。親しい間柄か、そうでないかで、接し方がずいぶん変わる――これはロシア人のひとつの特徴のようだ。
「ロシア人って、あまり笑わないんです。この点は、ロシアに旅行に行って驚かれる人が多いと思います。欧米人って他人に対して愛想がいいじゃないですか。だから、ロシア人は〈冷たい〉と感じる人が多いようなんですね。しかし、一歩懐に入ると、日本人の私からすると過剰じゃないかと心配になるくらい、いろいろと世話を焼いてくれる。それは本当に感動的なくらいです」
阿出川先生は、ロシア人のそうした“身内”を大切にする姿勢が好きだという。
「家族に何かあったら、すべてを打ち捨ててでも駆けつける。そういった熱さが彼らにはあります。だから仕事がいい加減になるとか、雑になるとかいう側面もあるのですが(笑)、自分の幸せを何より大事にするという生き方から教えられるところがあります。
最近のロシア人の若者は家族にドライになってきた、といわれたりもしますが、日本人に比べたらまだまだ家族同士の関係は密接だと思います。日本人とロシア人は人生のプライオリティーが違う。語学を通して、そうした生き方にまで触れていただけたら、嬉しいですね」
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【講師略歴】https://mananavi.com/wp-admin/post.php?post=51933&action=edit#aioseop_opengraph_settings阿出川修嘉(あでがわ・のぶよし)
東京外国語大学非常勤講師、同特別研究員。神奈川大学非常勤講師。博士(学術・東京外国語大学)。各大学での学部生・大学院生向けの授業に加えて、上智大学、TUFSオープンアカデミーなどの公開講座においても、様々なレベルに対応したロシア語の授業を担当。
◆取材講座:「ロシア語入門1 基礎からじっくり学ぶ」(上智大学公開学習センター)
文/まなナビ編集室 写真/上智大学提供、SVD