それは巻き貝の分泌液から生まれた
古代西洋で、皇帝のみが使用を許可されていた高貴な色「貝紫」。糸にこすりつけた巻貝の白い分泌液が太陽光で変化して生まれるこの色は、わずか1gの染料を得るために2000個以上もの巻貝が必要とされる。
1枚の布を染めるだけの量を採取するとなったら、気の遠くなるような話だ。巻貝が岩場を覆うように生息するメキシコのドン・ルイス村では、荒波に揉まれながらも貝紫染めの作業を続け、たくさんのインディオたちが命を落としてきた。希少価値が高く、今や幻になりつつある色なのだ――――
こんな形で、「色を主役に歴史をたどるのがこの講座。色にまつわる新たなドラマが見えてきますよ」と、色彩文化・模様文化を専門として、35年以上教壇に立つ、共立女子学園名誉教授、城一夫先生は話す。
カラーコーディネーターやインテリアデザイナーも受講
城先生によると、この講座の受講者は、
・色の歴史を知って絵画や工芸、建築、文学などへの造詣を深めたいタイプ
・ここで得た知識をカラーコーディネーターやインテリアデザイナーなど、色彩関連の仕事に生かしたいタイプ
の2種類に分かれるという。
2017年前期にも〈色〉にまつわるさまざまなテーマで同講座の後編が開催されるというから、色に対する興味や観察力が高まることだろう。ちなみに講義中、城先生が受講者に「壁画に紫が使われている『ラスコー展』に行かれた方はいますか?」と問いかけたところ、およそ50名のうち1/4程度が挙手。受講生の半数以上は、先生の講座のリピーターらしく、色への関心の高さがうかがえる。
講座1回目のこの日のテーマは「紫」。前半は「西洋の紫」、10分の休憩をはさんで後半は「日本の紫」にまつわる歴史や多彩なエピソード、アートなどを、動画や写真を見せながら紹介していく。
西洋の紫の歴史は、「貝紫」に代表される天然染料に頼った時代と、「パーキンス・モーヴ」と呼ばれる合成染料が生まれた中世以降で大きく変わる。
「美しく、希少な貝紫は、高位の人物のみが身につけられる『皇帝紫』として崇められていました。19世紀中頃、マラリアの薬であるキニーネの合成実験中、たまたま紫色ができることを発見して大金持ちとなったのが、若い研究者ウイリアム・ヘンリー・パーキン。パーキンス・モーヴの人気に火をつけたのはヴィクトリア女王の着たドレスで、その後、染料が工場で大量生産されるようになって、一般大衆にまで大流行したんです」と、城先生。
今や世界中の誰もが自由に、リーズナブルに紫を着用できるのは、合成染料の発見があってこそなわけだ。
明治時代、女学生のブーム
日本における紫のあゆみはさらに面白いという。
「古くは、聖徳太子をはじめ高位の人が着用した高貴な色。平安時代には、『枕草子』など文学作品に描写され、その美しさが絶賛されました。特に『源氏物語』は、『紫の物語』と言われるほど、紫にゆかりのある作品です」(城先生、以下「」内同)
江戸時代は、喜多川歌麿の描いた浮世絵で振り返る。
「江戸のファッションは歌舞伎と遊郭が流行の発端。紫を粋に使った役者や遊女の装いから、紫がいかに江戸時代を席巻していたかがわかりますね。カラーコーディネートのセンスも抜群です」
明治時代は、鹿鳴館が建てられ、西洋文化の吸収が盛んに。
「貴婦人たちは西洋で流行った紫色のバッスル・スタイル(スカートの腰の部分にふくらみを持たせたスタイル)を真似しました。女学生の袴の色にも紫が採用されて、紫ブームが起こったようです」
講義は、さらに多様化する現代の紫にも触れて終了。紹介される例は多く、授業は途中休憩をはさんで、2時間50分。女子大ではあるが、男性も受講できる。
〔今日の名言〕『源氏物語』から「歌舞伎の衣装」まで、昔から日本人のカラーコーディネート力は見事」
〔受講生の今日イチ〕授業時間も長いので、途中、おなかがすくことがある。休憩時間になると、顔なじみらしい10人ぐらいのグループ同士でお菓子の配り合いが始まる。
〔大学のココイチ〕終了後はやはりグループで学食に向かっていた。男性も利用可。
〔おすすめ講座〕歴史を作ったいろいろな色の物語(後編)
取材講座データ | ||
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歴史を作ったいろいろな色の物語(全10色・前編) | 共立アカデミー | 2017年1月28日~3月18日 |
2017年1月28日取材
文/まなナビ編集室 写真/Adobe Stock