アメリカの人種差別の歴史で有名な3人とは
取材した日のテーマはアメリカの人種差別の歴史に名を残した3人だ。
まず取り上げられたのは、活動家のローザ・パークス。パークスは、アフリカ系アメリカ人による公民権運動が広がるきっかけをつくったとして知られる人物。1955年、パークスは、segregation law(人種分離法)違反として逮捕された。
「ローザ・パークスの“バス”事件は、いわゆる一般の黒人女性が仕事でとても疲れていたのに座っていた席を白人に譲るように言われ、譲らなかったことで大問題になった出来事として有名です。それを機に、ここアラバマ州モンゴメリーで黒人によるバスボイコット運動が起こり、公民権運動へと広がります。もともとパークスはNAACP(有色人種向上協会)のメンバーとして活発に活動していました」(バーダマン先生 以下「 」内同)
このバス事件は、パークスの“うっかり”から起きてしまったのだという。
「パークスはこの時のバス運転手を嫌っていて、この運転手のバスに乗るのを避けていました。ところがその日はくたびれていて、うっかり乗ってしまったのです」
続いて紹介されたのは、ローザのバス・ボイコット事件の100年前に生まれた、教育者のブッカー・T・ワシントンだ。1856年にバージニア州で奴隷として生まれ、奴隷制解放後、黒人の経済的・社会的環境の向上のためにはvocation education(職業教育)が重要であると提唱し、黒人のための教育者として活躍した人物である。
「当時は住む場所、歩く道、使う店、学校、病院、すべて白人用と黒人用で分かれていました。黒人の使う病院のスタッフは、黒人用の医療学校で学んだ人たち。ブッカー・ワシントンはアラバマ州のタスキーギに設立された黒人用の職業訓練学校の校長を務めています。この学校は現在タスキーギ大学に改変されていて、私も行ったことがありますが、現在も生徒の9割以上は黒人です」
黒人は“capital(資産)” その意味は?
最後に取り上げられたのは、なんとバーダマン先生の曽祖父、ジェームス・K・バーダマン。強烈な白人至上主義者として知られる人物だ。1904年から4年間ミシシッピ州の知事を務めたジェームス・K・バーダマンは、教育や政治などあらゆる面で黒人の権利剥奪を推進した。1862年の奴隷解放宣言や1865年の南北戦争の終結から半世紀もあとの話である。
「当時、労働力としての黒人は“capital(資産)”でした。黒人奴隷の解放は“loss(資本の損失)”を意味する。当時、“解放”された黒人たちの多くは、働く場所もなく、ブラブラしていた。そういう黒人たちを野放しにしておくのは危ないということで、社会統制を目的に拘束して、“penal farm”に収容したのです」
“penal farm”とは、刑事農場。かつての奴隷制プランテーションを近代的なかたちにしたわけだ。アメリカの社会経済の発展のためには、どうしても黒人の労働力が必要だと考えたのだ。
「ジェームス・K・バーダマンは、黒人に教育などは必要ない、と主張しました。この政治的アピールは当時、当然のこととして受け入れられたのです」
家康や幸之助を知る必要があるように
「英語で歴史や文化を学ぶというのは、文化的コミュニケーションツールとして必要な教養を身につけるということ。日本で徳川家康や松下幸之助を知らなければ会話についていけないように、異文化のコミュニティに参加するためには、知っておくべき歴史や人物があります」
バーダマン先生は早稲田大学エクステンションセンター中野校で「アメリカの教科書で学ぶアメリカ史〔中級〕」を開講している。
取材・文/まなナビ編集室