黒人は“capital” 英語で学ぶ人種差別関連の3有名人

Western Genius〔中級〕@早稲田大学エクステンションセンター

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ジェームス・M・バーダマン早稲田大学名誉教授

「パークスはこの時のバス運転手を嫌っていて、この運転手のバスに乗るのを避けていました。ところがその日はくたびれていて、うっかり乗ってしまったのです」

続いて紹介されたのは、ローザのバス・ボイコット事件の100年前に生まれた、教育者のブッカー・T・ワシントンだ。1856年にバージニア州で奴隷として生まれ、奴隷制解放後、黒人の経済的・社会的環境の向上のためにはvocation education(職業教育)が重要であると提唱し、黒人のための教育者として活躍した人物である。

「当時は住む場所、歩く道、使う店、学校、病院、すべて白人用と黒人用で分かれていました。黒人の使う病院のスタッフは、黒人用の医療学校で学んだ人たち。ブッカー・ワシントンはアラバマ州のタスキーギに設立された黒人用の職業訓練学校の校長を務めています。この学校は現在タスキーギ大学に改変されていて、私も行ったことがありますが、実は現在も生徒の9割以上は黒人です」

黒人は“capital(資産)”と言われていた

最後に取り上げられたのは、なんとバーダマン先生の曽祖父、ジェームス・K・バーダマン。強烈な白人至上主義者として知られる人物だ。1904年から4年間ミシシッピ州の知事を務めたジェームス・K・バーダマンは、教育や政治などあらゆる面で黒人の権利剥奪を推進した。1862年の奴隷解放宣言や1865年の南北戦争の終結から半世紀もあとの話である。

「当時、労働力としての黒人は“capital(資産)”でした。黒人奴隷の解放は“loss(資本の損失)”を意味する。当時、“解放”された黒人たちの多くは、働く場所もなく、ブラブラしていた。そういう黒人たちを野放しにしておくのは危ないということで、社会統制を目的に拘束して、“penal farm”に収容したのです」

“penal farm”とは、刑事農場。かつての奴隷制プランテーションを近代的なかたちにしたわけだ。アメリカの社会経済の発展のためには、どうしても黒人の労働力が必要だと考えたのだ。

「ジェームス・K・バーダマンは、黒人に教育などは必要ない、と主張しました。この政治的アピールは当時、当然のこととして受け入れられたのです」

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