こう語るのは、洛南の名刹、醍醐寺の執行・総務部長を務める仲田順英師。では「正しく生きる」ために私たちはどうすればよいのか。
仏の教えは信じる人それぞれの分だけある
立命館土曜講座第3200回「お寺巡りをしたくなる祈りの心」は、多くの人にとっては日常的に接することが少ないであろう仏教の根本に触れるよい機会となる。
仏教は「縁(えにし)」をとても大切にする。「縁」とは“結びつき”。「縁」に心を寄せ、自分の心の佇まいを整えていく教えが、仏教なのだという。
仏教にはたくさんの宗派や、国ごとの特徴があるが、仲田師によれば、仏の教えはそれを信じる人それぞれの分だけあるという。どの教えに心を寄せ、どう自分の心の佇まいを整えていくのか。これらはすべて、自分の心の内にある。
仏教には、自分の心を整えていくときの指針となるべき教えがある。
たとえば「三密加持(さんみつかじ)」。「三密」とは「身」と「口」と「意」。つまり、身体と口と心である。
身体は楽をしようとするし、口からは悪口や陰口が出るし、心にはズルをしようとする思いが生まれる。この3つは、人が背負うべきカルマ(業・ごう)、「三業(さんごう)」を生む場所だ。
密教では、この業を受け入れて、清らかにし、その状態を保つために「三密加持」の行をおこなう。
それをさらに具体的にしたものが感覚器官を整える「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」である。「六根」とは口(味覚)、耳(聴覚)、鼻(嗅覚)、眼(視覚)、身(触覚)、意(意識)の6つの感覚器官のこと。これらを清らかに保つ行が「六根清浄」だ。
仏教の基本は、「三密加持」や「六根清浄」をすることにより、自分の心をきれいにしていくことだと、仲田師は説く。
もちろん私たちは、本格的な「行(ぎょう)」はできない。しかし、私たちが仏の教えを理解し、行動のなかで仏の教えを心がけることで、私たちなりの「行」をおこなうことができるのだという。