立地を知れば神社がもっと身近に
災害の危険性が高い地形に作られた式内社の一つである、淀川南流に位置する堤根神社は、河内湖に流れる低湿地帯の堤防のそばに作られている。
この堤防は、『日本書紀』仁徳天皇紀に載る茨田堤(まんだのつつみ)だと伝えられている。古代、肥沃であったがたびたび高潮や洪水の被害にみまわれた河内平野に築かれた茨田堤。それは水害から農業を守り、農耕と水をつかさどる象徴だっただろう。この地域にある他の式内社に祀られるのも、水害から人々を守る神が多いという。
いっぽう、わざわざ危険な場所に建てられた社もある。たとえば大阪府南河内郡千早赤阪村大字水分にある建水分(たけみくまり)神社は、いまは山の上に立地しているが、古くは水越川のほとりにあったとされる。まさに扇状地の突端にあたり、危険極まりない立地ではあるが、その立地にこそ神性を見いだしたのかもしれない。
式内社の立地状況には、祀られている神様の性質も関わっていたということだ。「危険性の高いところにある神社には、それ相応の理由がある」のだ。それもまた、人々が災害から身を守ろうとした防災意識の結果だろう。
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取材講座データ | ||
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「歴史文化都市の防災と建築史学」 | 立命館大学土曜講座 第3194回 |
文/植月ひろみ 写真/青柳憲昌