「君は誰に見せるために持ってきたんだ!」
明治大学リバティアカデミーには、大友純先生が“師匠”と呼ぶある教育者の教えが、いまなお、息づいている。それは明治大学商学部名誉教授の故・刀根武晴先生だ。大友先生は「学部の学生さんにはとても怖い先生でしたよ」と、恩師を振り返る。
「教室で寝ている学生を見つけると必ず起こしに行く。途中で教室を退出した学生を、校門まで追いかけて連れ戻す。あるときは、学生が提出したレポートを、目の前で捨てたんです。『君は誰に見せるために持ってきたんだ!』と。先生に読んでもらうレポートにもかかわらず、綴じられていなかったからなんです。その学生はびっくりしていましたが、でもその後、彼は社会人になっても、他者に見てもらう資料は必ず綴じて提出するのではないでしょうか。怒るべきときにきちんと怒ってくれる先生でした。
それから徹底的に人を見てくれる先生でもありました。昔、トラブルを起こして退学した学生がいたんですが、刀根先生はその学生が就職するまで、徹底的に面倒をみていました。ほんとうに手間をかけて教育をしていた。教育とは本来、手間がかかるものなんです。刀根先生のこの教えを、リバティアカデミーでも実践しています」
“手間をかける”教育はリバティアカデミーの信条であるという。たとえば春と秋のプログラムの表紙のデザインもアカデミーのスタッフで行っており、講座で使用する資料もほとんど担当の教員がオリジナルなものを手作りしている。また、受講生が、講師の話を椅子に座って聞いて終わり、ではない講座を多く設けているのもその表れだ。事務局の河合充氏は「とりわけビジネス講座では、ディスカッションやグループワークなどアクティブラーニングを取り入れるようにしています」と語る。
「受講生に座って聞かせるだけではダメ、授業を受けた人が、今度は自分が授業をできるくらいにならなければダメなんだと、刀根先生はよく言っていました。その域に達するのは容易なことではありませんが、我々が目指すところではあります。たとえば私のある講座では、ブックレットを作りました。受講生一人一人に、最後に論文を書いてもらったのです。学んだ成果物を残す講座が多いのも、リバティアカデミーの特徴です。現在の講師、特にビジネス・コースには以前に受講生だった方も少なからずおられます。」(大友先生)
特にゼミナール形式の講座の初回では、必ず自己紹介から始まる。どういう仕事をしているのか、何を求めて講座を受けたのか。互いのプロフィールを知ることで、議論や意見交換の質が高まるという。大友先生のゼミナール形式の講座も、取り上げるテーマを春も秋も毎回変えるためリピート率が高く、10年以上続けて受講しているという人もいる。理論を学び、実際のビジネスでヒット商品を生み出した受講生もいた。このような講座運営は、ビジネス・コースだけでなく、教養文化コースも含めて、ほとんどの講師が行っているという。
わざわざ教室まで足を運ぶこと
大友先生が“手間のかかる教育”に力を入れる背景には、現状への危機感がある。
「いまの若者のコミュニケーションに危機感を感じています。SNSもスマホのゲームもすべて自分と画面の中の自ら設定したアプリとだけのやりとりで、彼らには実体のある他者がいない。要するに自己愛と衝動の世界に生きています。そういう世界に長くいると、他者への配慮の感情を失い、先を見通せなくなっていくのです。脳科学の分野では、海外だけでなく、国内でもそうした研究報告が増えてきています。」
こういう時代だからこそ、実際に顔をつきあわせ、講師と受講生が議論を交わしながら学ぶ場は貴重なのだ。大友先生はこう続ける。 「先ほど、農業体験の講座が人気だという話をしましたが、まさに手間暇かけることがいま求められていると実感しています。
振り返れば、18世紀の産業革命は肉体労働の効率化を図りました。重い物は機械が動かしてくれ、また汗水たらして階段を上がらなくても、エレベーターやエスカレーターが人間を運んでくれるようになりました。そして20世紀末にはじまったIT革命は、考える必要のない思考の効率化を実現したのです。その結果、たとえば地図を読む必要はなくなってしまいましたよね。スマホで地図アプリ見れば、あるいはナビに従えば、目的地に連れていってくれますから地図の見方を知らなくてもよくなりました。おいしいお店もぐるナビに従えばよい。“自らの足と舌で探す”という実態経験も不要になりました。
しかし、こうした効率性の追求が人を幸せにしないことに、多くの人が気付き始めています。だからこそ、“学び”においてもわざわざ教室まで足を運び、講師や友人の顔を直接見て話す――ネットやメールで済ませることもできることに、受講生たちは、わざわざ時間とお金と労力を費やしているわけです。いま、手間暇かけることの価値はむしろ高まっているんですね。そういった要求に応えるためにも、我々もまた、手間暇かけた授業を提供していく必要があると思います」
もう一つ、最近の学生を見ながら、不安を覚えていることがあるという。それではどうしたらいいか――大友先生は、当サイト「まなナビ」へのエールを送ってくれた。
「内向きのコミュニケーションに加えて、学生たちが本を読まなくなった。これが問題だと思っています。いま、大学では研究者の養成が非常に難しくなっているのですが、その理由が、学生が論文を書けないからなんです。論文を書けないのは、読書経験が乏しいから。由々しき事態だと思いますね。こういう状況ですから、スタートした「まなナビ」は、記事を読んだ後に、関連する本を読みたくなるようなサイトになるといいなと思いますね。読書もまた手間のかかる営みで、だからこそ価値があるし、得るもの、残るものが大きいのです」
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2017年2月17日取材
文/砂田明子 写真/下重 修