財をなして見せつけたかった豪商……
江戸時代には豪華な材の使用が禁止され、高さ規制もされていた。それが明治の世になり規制が解除されると、財をなした豪商が人々に「見せつける」ための豪奢な町家を建築した。
つまり、高山の町家の特徴として捉えられていた「立体格子」の梁組は、実は明治期の豪商の町家に特徴的なものであり、明治の豪商たちの美意識の賜であったのだ。
町家と町家の間には
なるほど。高山には何度か訪れているけれど、それこそ「町家、すごーい」だけで、じつは高山の町家というものをちゃんと見ていなかった。各町家で建築年代が違い、年代ごとの特徴があるなど、言われてみればそのとおりだが、講座を受けなければ気づきもしなかった。
さらに青柳先生によれば、高山のこの町家と土蔵の関係が、防災的にも大きな役割を果たしてきたという。通り側に町家を建て、その奥に土蔵を建てる。つまり、町家と町家の間には、ずらりと土蔵が建ち並ぶのである。日本の建築の最大の弱点は木造で燃えやすいこと。しかし、この土蔵が一種の防火帯になり、延焼を防ぐ構造となっているという。
青柳先生の研究テーマは、いかに古い建造物の文化的価値を守りながら、現代における防災という価値観を共存させていくか、ということ。逆に、古くからの建造物を調査するなかで、現代に生かせる防災的視点を発見することも多いという。
青柳先生によれば、この高山の町家も「構造補強」という見地から見直すことができるのではないか、今に残るその構造・梁組はどのような点が防災上にも優れていたのか────引き続き調査を続けていきたいとのことだった。
◆取材講座:「歴史文化都市の防災と建築史学」(立命館大学土曜講座 第3194回)
文/植月ひろみ 写真/青柳憲昌