日本人とネイティブのW講師で元祖ポルトガル語を学ぶ

「ポルトガルで話されているポルトガル語」中級@上智大学

ポルトガル語と聞いて思い浮かべるのは、ブラジルだろう。実際、ポルトガル語を話す人々は世界に約2億1500万人もおり、そのうち2億人がブラジル人だ。日本にはポルトガル語を教える大学やスクールもいくつかあるが、そのほとんどがブラジルで使われているポルトガル語を教えている。そんな中、本家本元のポルトガルで話されているポルトガル語を教える講座があると聞き、取材した。

  • 公開 :

上智大学「ポルトガルで話されているポルトガル語 中級」で教える内藤理佳先生

ポルトガル語と聞いて思い浮かべるのは、ブラジルだろう。実際、ポルトガル語を話す人々は世界に約2億1500万人もおり、そのうち2億人がブラジル人だ。日本にはポルトガル語を教える大学やスクールもいくつかあるが、そのほとんどがブラジルで使われているポルトガル語を教えている。そんな中、本家本元のポルトガルで話されているポルトガル語を教える講座があると聞き、取材した。

日本人とネイティブ両方からポルトガル語を学ぶ

ポルトガル語は、もともとはその名の通りポルトガル共和国で使われている言語だ。しかし今、日本でポルトガル語というと、ブラジルで使われているポルトガル語を表すという。

日本とブラジルは1908年に移民が始まって以来、積極的に移住政策を行ってきた。そのためブラジルは世界最大の日系人居住地だ。急発展を続けるBRICs(ブリックス、Brazil,Russia,India,China)のひとつでもあり、日系企業も多く進出している。こうした理由から日本で開講されるポルトガル語講座の8割は、ブラジルのポルトガル語という。しかしポルトガル共和国のポルトガル語とブラジルのポルトガル語は、今や発音も文法すらも異なるという。

上智大学で開催されている「ポルトガルで話されているポルトガル語 中級」は、元祖ポルトガル語と言えるポルトガル語を学べる、希少な講座だ。上智大学でもこの1講座のみ。NHK語学番組にもポルトガルのポルトガル語講座はない。

講師はポルトガル出身のパウラ・レイス・ゴメス先生と、日本人講師の内藤理佳先生。まずは内藤先生から日本語で文法を習い、次にパウラ先生からネイティブの発音や言い回しを学び、コミュニケーション力を磨くといった内容だ。日本人講師とネイティブの講師両方から指導を受けることで、文法も発音もしっかり学べる。

ブラジルとポルトガルのポルトガル語はこんなに違う

ポルトガル共和国とブラジルのポルトガル語は、どう違うのか。内藤先生に聞いてみた。

「ポルトガル語には『あなた』を指す言葉には “tu” と “você” の2種類があります。より距離が近く親密な相手に使うのが “tu” です。相手との関係によってこれらを使い分けるんです。けれどもブラジルでは “tu” は一部の地域でしか使用せず、両者の明確な違いはありません。必然的に動詞の活用形が変わるので、文法も異なります。日本で出版されているブラジルのポルトガル語の参考書には “tu” を載せていないものが多数あります。

また発音も、ポルトガルは単語の語尾をはっきり発音しないため柔らかい印象を与えますが、ブラジルは強く明確な発音です。例えば単語の末尾が “de” なら、ポルトガルでは “ドゥ” と発音しますが、ブラジルでは “ヂ” です。“te” はポルトガルは “トゥ”、ブラジルは “チ” と発音します(ブラジルの発音は地域によって異なる場合もあります)。

ポルトガルのポルトガル語は古来の文法に忠実ですが、ブラジルはより口語的で、活用形もポルトガルとは異なるものもたくさんあるんです」

二人称からして違うとなると、学習者はあらかじめどちらの言語を学ぶか、選んだほうがよさそうだ。

ポルトガル民謡“ファド”からポルトガル語を学ぶ人も

記者はスペイン語を習っていたが、スペイン語初中級レベルでもポルトガル語の文章を読むと意味がわかるものがほとんどだ。耳で聞くと、フランス語に近い感じがする。ラテン系の語学の勉強をしている人なら、かなり取っつきやすい言語だ。受講生がポルトガルで話されているポルトガル語を学ぶ目的を訊ねた。

ポルトガルは日本が初めて出会った西洋の国です。カッパやボタンといった言葉は、ポルトガル語由来といわれています。日本からの直行便がないので、なかなか旅行で行く機会が少ないのですが、行くとファンになる方が多いのです。フランスやイタリアにあるような派手な建築物はないかわりに、日本人がどこか懐かしみを覚える風景が広がっています。食事もやさしい味つけで魚介類が多く、日本人には馴染みやすいですよ。

ポルトガル語の勉強を始めるきっかけで多いのは、“ファド” というポルトガルの民族歌謡ですね。シャンソンからファドにたどり着く人もたくさんいるようです。外国語で歌っていると語学をきちんと習いたくなるものです。ファドは大航海時代、海へと出ていった夫や恋人たちへ向かって、残された女たちが強いサウダーデ(哀愁)の気持ちを込めて歌ったものです。愛する人だけではなく、過去の思い出やかつて大事にしていた物など、さまざまなものがテーマになります。すごく大事にしていたものが、今はもう何かの理由でなくなってしまって目の前にないという、やるせない気持ちを歌うんです」

ネットでファドを聴いてみると、確かに切なく情熱的な歌は、心にしみるものがある(歌うのも気持ちがよさそう!)。例えるなら都会へ出稼ぎに出た恋人を偲ぶ演歌みたいなものか。確かにそうした哀愁は日本人には響きそうだ。

「旅行のパッケージツアーでは『情熱の国スペイン、哀愁の国ポルトガル』というコピーが使われます。スペインとは同じイベリア半島にありますが、その性質はまったく逆なんです。ポルトガルはとても後ろ向きで、シャイな感じです」

戦国時代の文献研究からポルトガル語を学ぶ人も

その精神は、歴史に関係が深いという。ポルトガルは大航海時代から始まり、ブラジル、アンゴラ、マカオなど世界中に植民地を持っていたが、そのすべての領地を失った。機械類、衣類、コルク製造などの製造業が主産業で大企業などもなく、経済的危機に瀕していることから、かつての栄光を懐かしむムードがあるという。ポルトガルの発展が遅れたことには内政上の理由もあった。

「1932年から1968年までアントニオ・サラザールという政治家が、首相や大統領を歴任していました。彼の敷いた独裁政治のため言論は統制され、そして軍事費が大幅に膨らみます。独裁が長く続いたことでポルトガルの発展は大いに妨げられたのです」

しかし逆に、残された田園風景や、小さく慎ましやかな教会などの建築物に、日本人は懐かしさを感じるのだという。旅行がきっかけでポルトガルの魅力の虜になり、リタイア後に移住を決めた夫婦もいる。

「日本との歴史的関係も深いですよね。南蛮文化やキリスト教史を学んでいる人が織田信長や豊臣秀吉、徳川家康の時代の文献を資料として読むと、そこに古いポルトガル語が出てきます。そこでどうしてもポルトガル語の知識が必要になり、習い始める方もいるんですよ」

ポルトガル文化を色濃く残すマカオ

日本から飛行機で4時間の地にもポルトガル文化を擁する都市がある。1999年中国に返還され、今は中華人民共和国マカオ特別行政区となったマカオである。

「マカオは、キリスト教布教のための拠点になっていた場所です。日本への布教も、マカオを経由して行われました。またポルトガルの現地婚政策によって『マカエンセ』と呼ばれる混血の人々が誕生しました。今でもマカオにはそのコミュニティがあり、私はその研究をしています」

そういえば、映画『沈黙-サイレンス-』でも、来日した神父たちはいったんマカオに駐留していた。現地へ行くと、統治時代の教会などの建物が残っているというし、意外と身近なところにポルトガルの軌跡が残っているのだ。なお、「マカエンセ」について、内藤先生の著作『マカエンセ文学への誘い』『ポルトガルがマカオに残した記憶と遺産―<マカエンセ>という人々』(ポルトガル大使館主催ロドリゲス通事賞受賞)があるので紹介しておく。

内藤先生のお話を聞き、今まで興味の薄かったポルトガルに俄然興味が湧いてきた。スペイン語の語学力も活かせるなら、なおさらだ。しかし内藤先生からはひとつ注意が。

「ポルトガルでスペイン語は喋らない方がいいかもしれません。ポルトガルは国の設立も早く、ポルトガルとスペインの国境は、13世紀末に制定され、ヨーロッパ最古のものです。こうしたプライドのほか、レコンキシュタ(イスラム勢力からの国土回復運動)もスペインより300年ほど早い11世紀には終結していますし、スペインに対するライバル心が強いんです

日本人が初めて接した西洋の国、ポルトガル。食生活も、シャイな国民性も日本人に似ているポルトガル。そして日本人が大好きな信長、秀吉、家康の時代の資料を読み解くのに必要なポルトガルの言葉。語学を学ぶということは、その国を知ること、世界を知ること、引いては日本を振り返ることにもなるのだ。

内藤理佳先生

〔あわせて読みたい〕
数奇な運命をたどった名画、エル・グレコ『受胎告知』
大学教授が語る世界の歌劇場と21世紀傑作オペラ

◆取材講座:「ポルトガルで話されているポルトガル語 中級」(上智大学公開学習センター)

文・写真/和久井香菜子

-教養その他, 英語・語学
-, , , ,

関連記事